偏読老人の読書ノート

すぐ忘れるので、忘れても良いようにメモ代わりのブログです。

私が語り始めた彼は

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 昨日読んだのは、「私が語りはじめた彼は」三浦しをん。三浦さん初期の作品(2003年発表)でどちらかというと純文学系。「まほろ駅前…」や「舟を編む」等とは少し毛色が違う。三浦さんは「私はたぶん、なにかひとつに取りつかれた人間の話が好きなのだ」(本屋さんで待ち合わせ)そうだが、本書も、「浮気」、「嫉妬」に取りつかれた男女の愛の機微をテーマに描いた連作短編集だ。雑誌に発表されたもの五編にプラスして書き下ろし(この本を出版するために書き下ろしたものなのか、それとも雑誌に発表するために用意されていたものかは定かではないが)されたものが最後に編まれている。だが、私にはこの最後の編は、三浦さんが書き足りなかったと思うもの、あるいは書こうとして書かなかったものなのであろうと推測するが、これは余計だったような気がする。この世に「うまくまとまる」ことなど、そうはないのだから。そして、初出誌の裏のページに詩の一節がひっそり掲げられている(うっかりすると見逃してしまいそうだ)が、これもまたなぜ選ばれたのか私にはよく分からなかった。


 「この男 つまり私が語りはじめた彼は 若年にして父を殺した

その秋 母親は美しく発狂した」(田村隆一 「腐刻画」)


 さて、こういう純文学系の作品は三浦さんが「本当に書きたかった」、あるいは「書こうとした」ものなのだろうけれど、読む方としては、「物語」系の作品の方が面白い。特にストーリー漫画の影響をあきらかに受けているのが分かる(たとえば「格闘するものに○」とか、「風が強く吹いている」など)ものは、「この先どうなっていくのだろう」と読者を小説の中に引きずり込む力がある。やはり「書ける人」なのだろう、三浦さんは。

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