偏読老人の読書ノート

すぐ忘れるので、忘れても良いようにメモ代わりのブログです。

ジャズを聴き始めたころ

 ジャズを初めて聴いたのは、大学に入ってすぐ仲良くなった友人に連れられて、大学のすぐそばにあったマイルス・デイビスのアルバムと同じ名前のジャズ喫茶だった。それまでの私の音楽体験と言えば、先ず中学時代。エレキギターブームのはしりで、エレキの神様のような存在のベンチャーズや和製ベンチャーズと呼ばれた寺内タケシとブルージーンズなどが全盛で、これは飽きるくらい聴いた。次にリバプールサウンドと呼ばれたビートルズ。彼らの最初の映画「ヤア!ヤア!ヤア!」を観にいったときの衝撃は今でも忘れられない。何しろ、スクリーンの前で女の子達がキャアーキャアー立ち上がって絶叫するのである。仕方が無いから立ったまま観た記憶がある。英語の勉強と称してビートルズの「イエスタディズ」とか「ヘルプ!」の歌詞を覚えるのが流行したのもこの頃だ。その後はモンキーズにローリングストーンズと続く。

 高校に入るとザ・タイガース、ブルーコメッツを始めとするグループサウンズの全盛時代がやってくる。高校の友人達の何人かはグループを結成して、当時ヤマハが主宰していたミュージックコンテストに出場していた。4人集まれば「ちょっとやってみるか」という時代だったのだ。それから大学受験の頃には岡林信康とか高石友也、ちょっと遅れて吉田拓郎、井上陽水などのフォークソングへと変わっていく。ということで、演奏といえばエレキギターかフォークギターに親近感を覚えた世代である。そしてジャズと言えば、日野皓正のトランペットを思い浮かべるのがせいぜいだった。卵形のサングラスをかけて、空に向かってトランペットを吹く彼の映像はとにかくカッコよかった。私もジャズなどちっとも良いと思って聴いたことはなかったが、白状すればそのカッコよさに憧れてマウスピースを買ってきて、ひそかに練習したことがある。結局肺活量不足で、彼のように吹くにはかなりの努力が必要であることを思い知らされた。このマウスピース、何処に行ったか未だに行方不明のままだ。さて、友人と良く行ったのは冒頭のジャズ喫茶だったが、私にも人並みにガールフレンドができて、ちょっとアンニュイな感じの彼女が通っていたのが新宿の「ビレッジゲート」だった。彼女は煙草の煙を吐き出しながら、コルトレーンの「至上の愛」を聴くと涙がでるのよと偉そうに言っていたのだが、これは怪しいもので、私は何度か一緒に聴いたが彼女が涙を流したのを見たことはない。その彼女とはいつの間にか疎遠になっていった後も、このビレッジゲートにはよく通った。そして好きだったのはピアノトリオの演奏だ。これは今でも変わらない。

ところで、ジャズに関する本といえばすぐ浮かぶのが、ジャズを聴き始めた頃若い人に何故だか人気があった植草甚一さんだ。散歩とジャズと古本、そして映画が好きという植草さんのエッセイは不思議な魅力があった。今読んでも「あ、いいな」と思うのは、多分押し付けがましさがないからではないだろうか。私にはちょっと真似のできない文体でもある。そして帝王マイルスの自叙伝。

mairusu.jpg

植草甚一さんのエッセイと趣は違うがなかなか興味深いエピソードがてんこもりで、この一冊があればいっぱしのジャズ通となること間違いなしである。マイルス・デイビスのアルバムを聴きながらこれを読めば、それは至福の時間となる。

自分のめざす音楽のためには、すべてを犠牲にしても厭わなかったマイルス。波乱万丈のその人生に登場する多くのミュージシャン。友情、仲違い、再会、そして死別。一方で展開するさまざまな女達とのドラマ。死の淵に立ち、一度は音楽から遠ざかったマイルスを再び駆り立てたものは何だったのか・・・。常に黒人としての誇りと怒りを胸に刻み込んで生きた20世紀最大の音楽家の衝撃の人生>

Last Modified :