良い年の取り方をしたい。
私が二十代の前半の頃だから、今からもう50年近く前のことになる。当時私が勤めていたのは小さな広告代理店で、上司は私より6歳年上(今年は年男だ!)の、とにかくジッとすることのない忙しい人だった。25歳のとき札幌に帰ったのでそこには一年弱しか勤めなかったのだが、二、三度誘われて飲みに連れて行ってもらったことがある。たいていは仕事のことでこんこんと説諭(説教臭くはなかった記憶がある)されたのだが、あるとき、
「いつもあれこれ忙しく動いてますよね」と、私が訊くと
「生き急いでいるのかもしれないな。生き急ぐって結局死に急ぐってことなんだよな」と答えてくれた。
そんなことを考えたこともなかったので、「生き急ぐって結局死に急ぐってことなんだよな」というフレーズが人生哲学の根幹のような気がして、それからというもの、焦る気持ちがわき起こるたびにその言葉を思い出し、自分を戒めてきた。そしてこの頃思うのは、「焦らなくてもいつかは死ぬ」という当たり前のことだ。生き急ごうが、のんびり生きようが。だが、私も人並み以上に他人に良く思われたいという欲望から自由になれないでいる。できれば「良い歳の取り方をした人だ」と言われたい。そこで「良い歳の取り方」をするにはどうしたら良いか、名言らしきものを古い手帳から拾ってみた。
「自分が見えているものが、他の人が見えているものと同じなのかを、常に自己点検していなければだめなんですね。年をとるとそこがだんだん怪しくなるから 」(蜷川 幸雄)
自己点検するには、「素直な心」が必要だ。なぜなら、
「心で見なくては、ものごとはよく見えないってことさ。肝心なことは、目には見えないんだよ」(「星の王子さま」サン=テグジュペリ)
ただ、この「心」というやつ、そう簡単に自分の思い通りにならないから厄介である。何しろ、
「この世でいちばん遠い場所は自分自身の心である」 (寺山修司)
という名言もあるぐらいである。
そんなわけで、PCに向かってブログの記事を書こうとするのだが、なかなかその気になれなくて、ついつい将棋ゲームにハマってしまいそうになるときは、せめて「いちばん遠い場所にある」私の心を「グッと」引き寄せる訓練ぐらいはしようと思うのだが如何なものであろうか。