2022/05/07

神も仏もありませぬ

 佐野洋子「神も仏もありませぬ」

 佐野さんが北軽井沢で一人暮らしをしていた63歳から64歳までの身辺雑記である。

歳をとらなければ解らないことが、こんなにたくさんあるとは思いもよらなかった。

たとえば、

<六十三になると物忘れがひどくなり、物の名前や人の名前がすぐ出てこない。「あれ、あれ」「あの人、あの人、」と日に50回は云っている。記憶力の肉がたれてきているのだ。集中力が弱まり、仕事が続かない。精神力の肉もたれさがって来ている。その時、私、「え、嘘、嘘、知らなかった」とは思わず、仕方ないよなあ、これがと知ってるんだもん、と妙に心静かになってくる。(「これはペテンか?」より)>

 そうでなくても、物忘れは若いころからの私の「持ち味」だった。現役時代は、ボールペンやメモ用紙を一日に何回かは机の抽斗をひっくりかえして探していた。たいてい、持っていったところにそのまま置き忘れてきているということが常であったが。私の机のそばにいた女の子たちは私が机のなかをもぞもぞやっていると、「何がなくなったんですか?」と一緒に探してくれたものだ。みんなちゃんと幸せに暮らしていれば良いのだが。

<呆けてしまった母の姿に、分からないからこその呆然とした実存そのものの不安と恐怖を感じ、癌になった愛猫フネの、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるみ、その静寂さの前に恥じる。生きるって何だろう。北軽井沢の春に、腹の底から踊り狂うように嬉しくなり、土に暮らす友と語りあう。いつ死んでもいい、でも今日でなくていい。

 (目次) これはペテンか? ありがたい 今日でなくてもいい 虹を見ながら死ね 声は腹から出せ フツーに死ぬ そういう事か それは、それはねそうならいいけど 納屋、納屋 フツーじゃない じゃ、どうする 何も知らなかった 山のデパートホソカワ 出来ます 他人のウサギ 謎の人物「ハヤシさん」 金で買う あとがきにかえて>