簡単な言葉はアッサリ分かった気になりがちです。しあわせ、健康、いのち・・・。そして「いい写真」。でも、「いい写真」って、何なの?ですね。そんなモノ、どうでもいいような気もするのです。...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
ご訪問、ありがとうございます。来年も当ブログをよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。...
年齢的、体調的には難しいのですが時々「東京に行きてぇ~っ!」なんて思ったりします。東京にいたのはもうずいぶん昔のことで、記憶もかなりあいまいになって来ました。あのころの東京はもうとっくに行方不明になっているのは分かっているのですが・・・。東京で思い出しました。写真集で見た、緑川洋一さんのような日本の綺麗な風景を撮れるようになりたい・・・そんな思いで写真を始めたことを。カメラのことはまったく詳しくな...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 2
デジカメでモノクロ専用の機種が出るとは思いませんでした。カラーが当たり前の時代ですから。モノクロは難しいですから挑戦し甲斐があるからでしょうか。カラーと並走してやるのは少し混乱する気がするのでモノクロだけの撮影と割り切って撮るのがいいのだと思います。...
動画対応 Vlog用カメラというのがあるんですね。街歩きの動画はそのようなカメラで撮っているそうです。カメラがメチャクチャ小さいので目立ちません。それですれ違う人もほとんど意識していないように映っています。カメラの大きさによって、意識のされ方が違ってくるのですね。カメラの存在感、街なかで撮ること、いろいろ考えさせられるのでした。...
「写真」や「カメラ」が人気なのでしょうか?フィルムカメラやトイカメラが話題になります。ただ、それらで撮られるのが「私の周囲3の半径メートル以内」のように思うのです。料理などの写真の投稿をよく見かけるのですが以前は自分が飲食したメニューを「これ、食べたよ」と赤の他人に見せる気にはなりませんでした。3メートルも離れている人のメニューなんて誰も興味ないですから。でも今は、知らない人にも「これ見て!」と躊躇...
SNSを見ていたらAIで自分の撮った写真を批評してもらっている記事がありました。読んでみるとまるでベテランの人の感想みたいでビックリしました。そんな時代なんですね。でも、批評というものは具体的な人が行うものと思い込んでいるカメ爺なので、違和感いっぱいなのでした。的確過ぎるのです。独断と偏見がありません。やる気を出させる、持ち上げるだけが批評ではないのです。「その人」という肉体を持っているゆえの口臭や体...
ネガティブという言葉は辞書的には「否定の、反対の、否定的な、消極的な、悲観的な」という意味ですよね。例えばネガティブ思考⇒暗くてよくないと考えられています。でもそれは、とても短絡的で決めつけた捉え方ではないでしょうか。ネガとは陰であり、日の当たらない見えないところのことであって、暗いという意味にストレートに結びつけなくてもいいと思うのです。よくないことと決めつけるのは少し違うのではないでしょうか。...
通りすがりの○△□241010・このまちに、わたしたちが 3
写真撮影には練習はないと思っています。いつだって本番なのです。試し撮りのつもりで撮ったカットが傑作だったりします。本番だといって気合いの入ったカットが駄作だったりします。かと言って本番を意識すると緊張しますよね。でも緊張したほうが練習だと思って気楽に臨むよりはましなのです。その緊張を上手く撮ろうとする自分に向けるのではなく被写体をよく見ることに向ければいいのですが・・・。理想はリラックスした集中だ...
通りすがりの○△□241010・このまちに、わたしたちが 2
縦に長いものを縦位置で撮るのはマジメ過ぎると思います。たまには横位置で撮ってもいいのではないでしょうか。説明用なら出来るだけ分かりやすく撮る必要がありますが遊び心ならどんな撮り方をしても、被写体も喜んでくれると思います。...
写真画像とデジタル画像は区別したほうがいいと思っています。簡単な区別としてフィルム写真で撮影したのと極力類似したデジタル画像は写真と言っていいと思います。被写体にあったものは写っているということですね。被写体になかったものは写っていないということですね。また、誰が撮ったかが分かっていることが基本です。撮影者不詳でも人の手の介入があったかどうかです。デジタル画像の写真まがい画像はできれば写真とは呼ば...
カメラ雑誌「フォトコン」に写真家の立木義浩さんが選・評を担当してる「モノクロ作品招待席」というコーナーがあります。ネットの電子書籍で見ていることもあるのかもしれませんが今月号(1月号)で少し気になったことがあります。選ばれた作品のほとんどが黒っぽいんですね。何度か書いてきましたが、最近の傾向なのでしょうか。モニターで見ているからでしょうか。紙上だともう少しディテールが出ているとしても少しツブレてい...
写真の投稿だけです。...
写真撮影には練習はありません。いつだって本番なのです。試し撮りが傑作を生んだりするのですから。気合いの入ったカットが駄作だったりするのですから。ただ、本番だといって緊張しないことも大切ですでも、緊張したほうが練習と思って、だらけるよりはましなのです。...
(昨日の記事を少し編集し直して投稿します)写真撮影では要らないものは画面外へ、どかしましょうと言われます。画面外に出来ないなら、ボカしましょうとも言われます。その言い方って、そこにあるものに対してはけっこう失礼な言い方、不躾な言い方にも聞こえませんか。不要とか、邪魔とか言われても、あるべくしてそこにあるのですから、いるべくしてそこにいるのですから。居たくているわけでもありません。何らかの理由でそこに...
写真撮影では要らないものは画面外へ、どかしましょうと言われます。画面外に出来ないなら、ボカしましょうとも言われます。その言い方って、そこにあるものに対してはけっこう失礼な言い方にも聞こえます。不要とか、邪魔とか言われてもそこにあるのですからあるべくしてそこにいるのですから。でも、今はテレビの画面で街なかにいる人にボカシが入る時代です。その番組ではボカした人は要らないのです。画面の外へどいてもらうわ...
通りすがりの○△□241010・このまちに、わたしたちが 1
「 カメラは、撮る人を写している」という言葉があります。そうなんです。その写真には、その写真を撮った人しか写っていないのです。被写体は写っていないのです。ーえっ?写っているじゃん!いいえ、見る人には、写っている「ように」見えているだけです。撮った人には、自分の「思い」が見えているだけです。なにしろ「写」す時、思いを「それ(体)」に「被」せたのですから。「私の思い」「私の価値観」「私の好き」というベ...
真実という言葉があります。写真という文字にも真実を写すと書かれています。あの(どの?)少年は「真実はひとつ」と言っています。ところで写真ではストーリー性みたいなことが重宝がられています。それは、撮った人、見た人のストーリーのことです。だとすると年甲斐もなく、あの(どの?)少年に反論したくなるのです。写真は「見る人、見た人の数だけ真実はあるのでは」と。真実とはその人が、その人たちが見たいストーリーの...
輝く、未来、明日、青空、思い、希望、夢、涙、前へ、楽しい、幸せ、ポジティブ・・・歌の番組での字幕でよく目にする言葉です。マナーがよくないのですが、目が欠伸をしています。...
コミュニケーションで必要なこと⇒まず相手をよく知ることと言われていますよね。⇒写真もコミュニケーションについてよく触れられます。⇒そのためには見てほしい相手をよく観察し⇒相手の見たいものを知ること、だと。⇒その上で相手に合わせて分かりやすく撮りましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく仕上げましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく説明しましょう、と。⇒でも、気になることが・・・⇒相手に合わせるっ...
私は読んでいないのですが「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という本で森山(大道)さんは次のようにおっしゃっているそうです。「過去はいつも新しいという謂は、カメラマンであれば当然の日常感覚であり、未来がつねに懐かしいという謂も、きたるべき未知の時間や風景は、いま街角の片隅のそこそこに、予兆となって浮遊しているという日ごろのぼくの実感である。」(森山大道「過去はいつも新しく、未来はつねに懐か...
通りすがりの○△□241030・ 漫ろ歩きには独り言が似合う 1
写真というのはどうでもいいことを撮るほうが面白くなると思っています。「価値!価値!価値!」とカチカチの息苦しい世界から離れて無価値を楽しむというのでしょうか。美しい被写体そのものには写真ではかないません。綺麗な景色は全身で味わうものだと思います。大切なその人は、どうしても写真でしか会えない時以外は本人がそばにいてくれるに越したことはありません。逆に日常を写真に撮ると「非日常感」が出てくることで美化...
通りすがりの○△□241122・about the winds that blew yesterday 1
SNSで投稿されている写真にはよく、カメラやレンズ名が併記されていますよね。でも、自分は写真の趣味がない人の知りたいのはいつ・どこで撮ったかではないでしょうか。それほど詳しくなくてもいいので「2024年12月、東京・新宿」もしくは「2024年、東京」くらいの明記があるといいなあと思います。...
世の中、ドンドン幼児化して行っているように感じています。写真でいえば、要らないもの、邪魔なものって今は簡単に消せますよね。まあ、嫌だから消しちゃえっということでしょうか。写真に写っているものを消したり、欲しいものを付け加えたり・・・それって、写真?と思うのです。それは写真というより、写真を使った別のもののような気がしますがそう思うのは、もう古い感覚なんでしょう。「そこのおっちゃん、ジャマ、ジャマ、...
あっ、軽い写真は明るい写真に成れるのでしょうか。...
写真を撮影した日は写真脳というのでしょうか、それが一種の興奮状態のように感じています。写真脳というものが医学的にあるかどうかは分かりませんがそのせいで、帰宅してチェックしていると撮った写真の中に傑作があるかも、のように見えたりするものです。当日を過ぎても数日くらいはその興奮状態が続きます。それで、写真選びは1週間以上くらい経ってから行うようにしたほうがいいと思っています。だけど、人によって違うと思...
他に言葉が見つからないので「いい写真」という言い方をしています。でも、とてもあいまいな言葉だと思っています。「いい」なんてコロコロ変わるのですから。ただ「良い写真」という言い方には慣れません。良い⇒悪いを連想するからでしょうか。「悪い写真」って何だろうと思うのです。「悪い写真」の中にも「いい写真」があるように思います。「良い写真」の中にも「つまらない写真」があるように思います。...
こらからもエモイ写真って流行っていくのでしょうね。私「あのう、私の写真、見てくれませんか?」行きずりの人「あっ、どんな写真を撮っているんですか?」私「説明しにくいのですが、あえて言えば絶〇写真です」行きずりの人「ほおーっ、では見せてくれますか」私「はい、お願いします」行きずりの人「どれ?どれ?ぎゃあっ!な、何ですか、この写真!」私「絶叫写真ですが・・・。まだ、たくさんありますよ」行きずりの人「えっ...
もう何十年も前のことです。ある人の写真展を見に行きました。「こ、こんなにきれいなプリント、どうしたら出来るねん!」。その人のモノクロプリントの作品を見た時、自分には、こんな綺麗なプリントは作れないと思いました。ショックは受けたのですが、もっと違った写真の楽しみ方を探すことにしました。まあ、正直言うとそのころには写真は絵画とは違うし工芸品でもないので、作品を目指さなくてもいいと思い始めてもいたのでい...
見たものを撮ればいいと写真を楽しんでいる人と映え狙いで写真を楽しんでいる人とカメラ沼に入って写真を楽しんでいる人と。一見、共通点がないみたいですが・・・。でも、あるのではと思ったりするのです。興味の中心、関心の中心にあるのは自分、つまり「私」なのではないでしょうか。写真は目的ではなくて手段なのです。「見たものを撮る」のは「私の好き」を見つけるため。「映えを狙う」のは「私の輝き」をみんなに受け入れて...
SNSやカメラ雑誌などを見ているとストリートスナップ=人を撮るものと思われているようですね。ファッション・ポートレート撮影などにもストリートスナップという言葉が使われています。街なかで撮影しているからでしょうか。ただ、私は必ず人が写っていないとストリートスナップではないとは思っていないません。人が写っていなくてもストリートスナップはあるんですね。ただ、落ちているゴミを撮ったり、壊れて捨てられたビニー...
人間のカラダの目は外を見るようにできています。人間のココロの目も外を見るようにできればよかったのです。でも、人間のココロの目は内を見るほうが圧倒的に多いです。そのため2つの目を分裂させてしまいました。そして外のアレと内のコレを見比べてばかりでいます。「勝負・好悪・正誤・善悪・美醜」などを秤にかけて判定に大忙しです。それはとても疲れることなのですが、回復する間もなくこう言うのです。 「なにか、面白い...
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簡単な言葉はアッサリ分かった気になりがちです。しあわせ、健康、いのち・・・。そして「いい写真」。でも、「いい写真」って、何なの?ですね。そんなモノ、どうでもいいような気もするのです。...
写真を撮るというのは撮る側の一方的な行為と言えます。例え相手が人間で、了解を得ていてもその姿を凝固させるようなものですから。おまけに平面の姿にしてしまいます。ぺっしゃんこになるのです。考えようによっては写真を撮ることは暴力的なことなんですね。笑顔をやめることも出来ず、桜は散ることも出来ないのです。...
写真の上手い人の「好きなように撮りましょう」というアドバイスは無責任な気がします。その人は「好きなように撮るにはどうすればいいですか?」と聞いているのですから。でも、その人の好きはその人にしか分かりません。まあ、聞くほうも聞くほうでどっこいどっこいなんですけどね。まず、自分の好きな写真を見つけることが先だと思います。...
「よく見て撮りましょう」と言われます。ただ、よく見ようとするほどアレコレ考えてしまいなかなか決められません。よく見るのは、撮ろうとするものを見つける時であって見つかったら、サッサと撮ったほうがいいと思います。...
これからのカメラは機能満載より「たったこれしか出来ないの?」みたいなほうがウケるのではないでしょうか。例えば「いうことを聞かないカメラ」なんて面白いと思います。ピントが変なところに合ったり色が変になったりシャッターがすぐに切れなかったりそんなカメラも面白いのではないでしょうか。売れるかどうか・・・分かりませんが。...
撮るものがあると思うから撮れないのです。撮るべき被写体が見つからないと言って悩むのです撮るものなどないけど撮ればいいのではないでしょうか。撮るものがないから何を撮ってもいいのです。テーマ主義が写真をつまらなくしています。決定的瞬間なんてアダ花です。ドラマやストーリーは写真以外でもいいのです。撮るものがないから何を撮ってもいいのです。写真で日常を非日常にしなくてもいいのです。料理は食べたほうが料理は...
昨日、久しぶりに撮影しました。道頓堀、お天気&暖かだったせいでしょうか人、いっぱいでした。でも、「ここ、にっぽん?」でしたね。これまで通り、サッサと通り過ぎたのでした。...
写真の投稿だけです。...
カラーは色が邪魔をするからと言われていますがモノクロは線や形が邪魔をする気がします。黒い、あるいは白い線や形が目立つのをモノクロで避けるのは難しい気がするのです。...
誰にでもわかりやすい言葉で説明されると何となく分かった気になりますよね。例えば、ネットで見かけた次のような言葉です。「いい写真は伝わる写真、伝わるってどういうことかっていうと、あとで撮ったときのこと、感情とかを思い出せること」。分かりましたか?要するに「いい写真=伝わる写真=思い出せる写真」ですよね。でも、伝わると思い出せるは違う気もするのです。伝えるのは普通、相手の人、他人ですよね。伝わるなら、...
写真は基本的には横位置で撮ったほうがいいと思います。そのほうが情報が一杯写ると思います。縦位置は隙間から覗いているように感じるので除き写真になりやすい気がします。...
人を撮る時には適切な距離感を考えて撮りましょうというアドバイスがあるんですね。近すぎないようにということのようですが人によって違うのではないでしょうか。「適切な」という言葉自体があいまいな気がします。たいていの人はカメラを向けられると緊張するのですから数字的な距離は分からないと思います。...
寒いです。でもあと1週間で春です。確実に日差しの光量は増えています。今年は撮影にあまり出かけていませんがまあ、寒気の顔色をうかがいながら出かけたいと思っています。...
以前は憧れの写真家がたくさんいました。この人のような写真、撮りたいなあと目標にしました。でも、今、そのような人がいなくなってきています。まあ、自分は成れないというのが分かったこともあります。もっと早く気づけよ!です。その一方で、ガッカリすることも起こるようになりました。偉そうですが・・・。例えば、世界の森山大道です。森山さん、人気が出るにつれて「アレ?」でした。トイレの設計に参加したり、カレーのパ...
進歩というのは、実質的にはあるのだろうかと思います。良くなったところには目が行き喜んでいても必ずどこかで不都合が起こっているからです。写真もデジタルになったことを進歩と捉えることも出来ますがその反面、つまらなさも増した気がするのです。それを証明するのがフィルム人気ではないでしょうか。人は10歩進むと影は10歩下がるのだと思います。...
記憶という、あいまいで、無責任で、独りよがりのものに人は振り回されているように思えます。なぜなら記憶は感情とセットですからありのままの記憶というのはないのではないでしょうか。その記憶を裏付けるものなんてもうこの世にはないのですから事実を証明することは出来ないんですね。唯一、写真はそう思われていますが写っているのはカメラの前にあった一瞬の平面画像です。撮った本人は記憶を再現してみることは出来るのです...
いろいろ定義があるのですが「スナップ写真」とは「切羽詰まり写真」だと思っています。どこをボカすとか、どこにピントを合わせるか、構図は?とかアレコレ考える余裕がなく撮るのが「スナップ写真」です。実際は何かを考えているのですが感覚的には、サッサと撮ることだと思っています。...
写真の投稿だけです。...
言うまでもないことですが写真は視覚の表現です。今は視覚が過度に目立つようになりました。音楽にしろ、グルメにしろ視覚も重視されています。それでも、人間は五感の生き物であり視覚を支えているのは触覚だということを忘れたくないと思います。...
写真でポイントになるのは写らなかったコトやモノなんですね。正確には写せなかったコトやモノです。写ったコトやモノはそれほど取り上げることではないのかもしれません。あくまで写真というイメージなのですから。あくまで写真上の演出なのですから。...
主人公が五感を失ってゆくテレビドラマがあります。味覚、嗅覚と失い、現在は触覚を失っています。でも、物を掴んだりはできているんですね。そのあたりは考察して描かれていると思うので「そうなんだ」と思って見ています。そもそもそんなこと想像したくないです。五感のうちで触覚がいちばん世界との接触で大切だろうと思うのです。それでいちばん最後に失うのが触覚だと思っていましたがちょうど真ん中の3番目でしたね。残され...
写真撮影を突き詰めれば「距離」なんですね。まず焦点距離 つまり画角を決めないといけません。画角は写したい範囲のことですから基準になります。その写したい範囲はどれだけ離れればいいか、あるいは近づいたらいいかで決まります。つまり撮影距離です。そしてファインダーなりモニターを見るのですがしっくりこないことってありますよね。この場合、心理的距離に異和を感じているのでレンズを変える、焦点距離を変えるより撮影...
「カメラを始める」というのは不思議な言い方ですね。カメラというのは器械ですが、「クルマを始める」とは言いませんよね。同じアートの油絵だと「絵筆や絵の具を始める」とは言いませんが音楽だと「ギターを始める」と言います。そう考えると写真は音楽のほうに近いのかもしれません。ただギターは音楽で使う楽器の一つですがカメラは写真一般をカバーできます。「カメラを手に入れて写真という趣味を始める」というのは冗長なの...
「いい写真」について書かれていることを読むといい人でないと撮れないのかなあと思ったりします。撮る相手の幸せを願ってシャッターを押すなどという写真家さんもいるんですね。そうだとすると「オレ、失格やなあ」と落ち込みます。人間性?・・・写真とは直接には関係ないと思いたいです。自分を語るために撮る写真、家族のことを見てもらうために撮る写真、好きなモノだけを撮る写真・・・個人的にはお子さんの写真の投稿はどう...
「いい写真は誰にでも撮れる」というコピーをよく見かけますよね。でも「いい写真」って何を指しているのでしょうか?「いい人は誰にでもなれる」とよく似た響きがします。でも「いい人」って誰を指しているのでしょうか?私も若いころ、「私さんって、いい人ね」とよく言われました。老いて気づきました。「どうでもいい人」だったんですね。そうなんです。「いい写真」って人それぞれの考え方で決まるのです。だから「いい写真は...
昔は、と言うとカメ爺丸出しの言い方になりますがまあ、個人的にははるかかなたなので、こう言いますね。写真の本と言うと「○○の撮り方」とか「写真撮影入門」のようなタイトル、内容の本が多かったです。でも今は、そのような本もあるみたいですがネットを見ていると写真に対する姿勢、考え方を含めて生き方論みたいな内容の本も(のほうが?)人気のようです。「あなたらしい撮り方をするために」とか「毎日を輝かせるためにカメ...
突然、縦位置で撮ってみようと思い立ち、いつもの公園へ出かけました。縦位置は画面の上下の空間が間延びそうでどう画面を整理したものか迷うのです。屋外の撮影だと上のほうの空間には空が、下のほうの空間には地面があるケースが多いですよね。でも、どちらも特に意味はないように感じるのです。画面の整理や印象作り以外に役割を持たせるのが難しい気がしています。あと、左右から挟まれるように感じるという閉所恐怖症みたいな...
写真の投稿だけです。...
写真はカメラマンがほとんど関われないメディアだと思います。自分が作り出したものがほぼ無くても成立するからです。被写体・・・料理など自作のものって限られますよね。カメラやレンズ・・・まず無理です。器用な人が作るとしたらピンホールカメラではないでしょうか。お天気・・・神様、お願い!そうなんです。自分が撮った写真がカッコいいと褒められたたらそれは被写体がカッコいいからなんですね。カメラマンは自分が撮った...
人は複雑すぎることを嫌います。たいていは面倒くさいことは嫌なのです。人は簡単すぎることを嫌います。たいていは物足りないのが嫌なのです。人はややこしい生き物だと思います。写真も簡単に綺麗な写真を撮れるようになりましたがただの簡単を通り越し、超が付くくらいの簡単になりました。簡単が人を追い越してしまったと思います。「お~い!待ってくれ!」たぶん、待ってくれないと思います。落ち着いて考えている暇はありま...
写真ではよく「ストーリーがあって、いいですね」などと言う感想が聞かれます。写真に限らず人はストーリーが大好きです。あらゆることにストーリーを見出します。ドラマ、ゲーム、スポーツ、ゴシップ、アート・・・ストーリーの中に入り込むことで「退屈」という名の存在から逃れることができるのです。...
フェイクというのはニセモノのことですよね。と言うことはホンモノが存在するわけです。そうだとすると写真そのものもフェイクなのかもしれません。被写体=ホンモノとすればです。人物の写った写真を破いても「痛い!」なんて叫ばないです。写真を使ったフェイク画像がニュースになったりしますがそれが問題視されるのは社会にマイナスの影響を与えるからです。でもふつうは写真は思い出であったりするわけですから写真そのものが...
言葉は「それ」の代わりをしてくれるので省エネにぴったりのアイテムです。何しろ「それ」についていちいち説明にエネルギーを使わなくても済みます。「アレ」は「アレ」なのですから。写真でも「上手くなりたい」と言えば「分かりました」と言ってその方法をいろいろ教えてもらえますよね。でも「上手くなる」って何なのでしょう?バエる写真が撮れるようになることいいね!がたくさん付くようになることフォトコンテストに入選す...
「写真する」=「カメラを持って撮影する」ではないと思っていますカメラを持っていなくても、「写真する」ことはできるのです。「写真を撮る人」=「写真家」ではない時代なのですから。...
デジカメになって、さらにスマホカメラになってモニターを見て写真を撮るほうが圧倒的に多くなってきました。でも、個人的にはファインダーを見て撮るほうが写真を撮っている気がするので、そうしています。一時期、モニターを見て撮っていましたが被写体を視線で優しく押してる気がして頼りない感じがしました。写真はシャッターを切るという言い方があるようにもっと鋭利な感覚が伴うものだと思います。それにはファインダーを覗...
写真を撮ろうと思うならものをよく見なさいと言われます。でもよく分かっていないものは目には入らないのではないでしょうか。見たいものを優先してみている以上、ものを平等に、よく見るのは困難な気がします。...
「雨の日こそ、写真を撮ろう!」のような記事を見かけます。なるほど雨の日は、しっとりした情感のある光景になりますよね。晴れの日はコントラストのきつい、よく言えばメリハリの利いた画面、別の言い方をすれば、ちょっとキツイ画面になります。どちらがいいとかではないのですが個人的には雨の日は、めったに撮影はしませんね。カメラに雨は大敵というのがあります。傘をさしたりして対策はできるのですがそこまでして・・・と...
私の写真は横位置ばかりですが縦位置で撮るのが苦手です。縦位置はどうしても画面が上下に分割されてしまうように感じます。それと縦に長いものだから縦位置で撮るのも少しストレートすぎる気もします。縦に長いからこそ横位置で撮る・・・そういう発想の写真もあっていいかなと思っています。縦位置は視線を集めやすい気がしますが逆に言うと扱いの難しい画面ではないでしょうか。...
写真を撮るということは画面を整理して撮ることとイコールではないと思っています。画面を整理するという発想は構図法を不可欠のように思わせてしまうのではないでしょうか。それが間違っているとは思いませんが写真を撮るということをフレーミング作業、つまり切り取るという感覚で見たほうがより適切ではないかと思います。なぜなら写真を撮るというのは誤解を怖れずに言うと、ある意味で暴力的なことだと思うからです。繋がった...
見てあっさり分かってしまうと物足りないです。見てまったく分からないとイラ立ちます。写真の話ですが中間の落としどころが悩ましいです。...