heartbreaking.

中年の末路とその記録

優しさを忘れない

宮崎勤 - Wikipedia

昭和に生きた人しかこのインパクトを覚えていない。

この世に神も仏もないとはこのことで、今日好きな音楽を聴いたでもいいがそれは殺された女児たちが出来なかったことでこの1日を生きたことだけに感謝していればよいのかもしれない。

楽しいことはあったはずなのにそれをあまり大事にしていない。楽しいことは誰かが運んでくれるものではなく、常に自分で探し続けることだ。

つらいことがあったとしても、楽しいことでその時々は蓋をして生きていける。でも何故だろう、貴方と時を忘れ微笑み合ったそんな記憶が簡単にネガティヴな考えに押しつぶされてしまうのは。それでもその奇跡のようだった過去の恋に手をのばすときは、なんであんな幻が自分に存在したんだろうと心がぼんやりして小さく「ありがとう」と貴方に心の中で呟く。もう逢うこともないけれど。なかなか難しいかもしれないけどたまには、そうした小さな光の粒を探してみる。それなら眠る前ベッドの上がいい。小さな幸せの光たちをかき集めたらきっとその時生きていたと感じられる。

女児たちはそんな幸せをかき集められるほど長く生きず悪魔に殺されてしまった。そこに祈りが届かないのなら世界中のどんな宗教も意味がない、私は無宗教だ。祈りを捧げるなら神や仏ではなく消えていった女児達に。何故貴方たちは殺されてしまったのか、もし私が神なら必ず貴方達を助けている。だからこの世には悪魔はいても神は存在しないのだと。生きていることがどれだけ素晴らしいことかを教えてくれるのはそんな悲しい事件たちだった……生きていることはチャンスを与えられていることだ。恋だけじゃない、この世界のテクノロジーの進化を見ていける。どうせ100年後の世界なんて見れないけど見れるもんなら見てみたい。

だけど眠る前は不安になる。特に性暴力の被害に遭っていると毎晩亡霊に苦しめられる。どんな恋でも塗りつぶすことができなかった。そんな亡霊も自分を構成する一部なので上手く共存してコントロールしてゆかなければならない。その出来事は年月が経つほどにより客観的かつ冷静に見ることができるようになる。長く生きることこそが徐々に救われる道なのだと知った。性暴力をふるったのなら責任を持ってそれ以上苦しめないように殺してくれたほうがよかったとそんなことをおもうことはあったがそれも綺麗ごとかもしれない。現に生きていることが答えなのだと。そうこの人生はそんなに悲観すべきものじゃない。

ジャニーズの件のように傍から見るといつまで言ってるのか、過去の事だろと思うような告発があるのは何故なのか本当は知っている。彼らはそこを乗り越えなければいけない時期に来ている。戦場に送り出されるほどではないがそれは尊厳を賭けた一人一人の戦いでありその痛み苦しみは本人しかわからない。誰にもわからせることなどできない。

今から30年以上前、連続幼女誘拐殺人事件を起こした宮崎勤のことを誰かに言われて思い出す程度になった。犯人の父親は、

東京都青梅市の多摩川にかかる神代橋 (水面までの高さ30m)から飛び降り自殺を遂げた。

子供の問題に向き合うより世間体を重視すると「変わった」子供を作り出します。

情報源がテレビしかないので正確な情報を知ろうとしないまま異常を隠すのが昭和の体質だった。今の高齢者に質問一つでもしてみれば彼らの単純な物事の考え方がわかる。たとえば精神病患者は檻に入れられていると本気で思ってる人もいる時代、そうした差別意識の矛先を自分達が向けられることへの怖れが、子供の障害を軽視させている。

早く病院へ連れて行ってればよかったのです。

病院へ連れて行かず部屋に閉じ込めたので彼のような怪物を生み出した。

今貴方はどういう想像をしますか、もし小さな娘がいるならパートに出る嫁を家に閉じ込めてでも24時間娘の傍にいさせる。勿論一人で外でトイレに行かせたりしない。今ジェンダーレスなら尚更。

子供を怖れて見て見ぬふりをすると重大な犯罪へと繋がるし、逆に被害に遭っていても気付けない。おかしいとおもったらすぐに病院へ連れていったほうがいいでしょう……(過去の発言と変わりました)

そいつら人間じゃないです。改心もしないです。思い出作りをしているだけです。

親は女児から目を離さないほうがいいし他人に預けたら駄目なんです。昔からこのブログで言ってますが、特に男のいる場所に女児を預けないほうがよい。それは忙しい夫婦には不可能かもしれないけど、年齢関係なくどんな男でも危険だとおもうくらい用心したほうがいいんです。

私たち人間は誰かの悪夢になるためにこの世に生まれたわけではないです。どんなに苦しい状況でも人を傷付けず、優しさを忘れなければいつか幸せの光を見つけられる日が来ます。なんのために立派な脳がついているのか、それは誰かを守るためです。脳を可能な限り良い方向に使っていればこの世に生きたことを誇って一人死ぬことができる。