わたしは、16歳から18歳までの2年間のみ、俳優だった。
東由多加率いるミュージカル劇団「東京キッドブラザース」に所属していた。
毎日毎日休みなく、歌って、踊って、演じて、毎公演100枚以上のチケットを売り、スタッフとして公演の仕込みやバラシを何日も徹夜で手伝ったりしていた。
(ノーギャラだった)
稽古が長引いて終電がなくなると、稽古場の床で雑魚寝するしかなく、衣装の洗濯ができないので、汗だくの衣装には塩が吹いていた。
稽古場にはシャワー室なんてものはなく、銭湯に行く時間的余裕もないので、
トイレの洗面台で台所洗剤(ママレモン)で髪を洗っている俳優もいた。
(慢性的な睡眠不足だったので、1日7箱のタバコと、カフェインドリンクのモカが欠かせず、いつも胃痛と吐き気がしていた)
16歳のとき、初めて就いたスタッフとしての仕事は、「暗転係」だった。
渋谷のPARCOパート3の劇場だった。
当時の消防法では、上演中に非常灯を消すことができなかったので、
非常灯の下に「暗転係」が立ち、照明を落とす前に、「非常灯隠し」の箱(ベニヤ板で非常灯サイズの箱を作り、持ち手となる長い木材を打ち付け、目立たないように黒いペンキで塗った)で、非常灯を覆う、という係である。
非常灯に「非常灯隠し」が当たったり擦れたりすると、上演中にがさがさ音がしてしまい、客の目が舞台から非常灯の方に移ってしまう。
気配を消して完璧に「暗転係」をやってのけるのは、至難の技だった。
フェイドアウト、フェイドイン、
カットアウトのタイミングも……
演目は、「ペルーの野球」だった。
ラストシーンの歌は、
作詞・作曲 小椋佳の「誰でもいいから」。
(キッドのミュージカルナンバーの作詞・作曲は、宇崎竜童、阿木耀子、井上堯之、加川良、加藤和彦、かまやつひろし、下田逸郎、吉田拓郎ーー、はっぴいえんどの前身にあたるエイプリル・フールの松本隆、細野晴臣、小坂忠、 柳田ヒロらが演奏という時期もあった。でも、やっぱり、代表曲は、小椋佳が多い)
「誰でもいいから」を、
昨日からずっと、口ずさんでいる。
http://j-lyric.net/artist/a000447/l02002f.html