6月30日は、水野スウさんをゲストにお招きして、死生観のおはなし会を開催したよ。
わたしとスウさんの出会いは、2017年。
2017.1.30のブログ
https://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/a8731cbec850e31ea070a066cda66f91/?img=a60151c6fb3be95f6bffdc78afd49eec
夫けーすけ曰く「スウさんは、けーちんの『在り方』に一番影響を与えた人」。
一番そばにいてくれる人がそう言うんだから間違いないんだと思う。
わたしにとって「聴く」の2大師匠のおひとりでもある。
(もう一人は「澄まし処」のふなちゃんこと吉橋久美子ちゃん)
スウさんは石川県津幡町内の自宅で毎週、
「紅茶の時間」と題した語り合いの場を主宰し、41年目になるそう。
たくさんの書籍を出版され、講演では憲法のおはなしも聴かせていただいたよ。
スウさんの今までの活動やそのお人柄、全てにおいて学ぶことばかり。
その中で特に心に沁みたのが「誰もが身の丈にあった認められ方をしたい」という言葉でした。
そして、スウさんにお会いしてから「誰に対しても謙虚でありたい」という変化が自分に芽生えたのです。
目の前の景色が変わった瞬間でした。
それまでのわたしは、
「あの人を助けてあげなくちゃ」
「落ち込んでるから話を聴いてあげなくちゃ」
「寂しそうにしているから仲間に入れてあげなくちゃ」
さらには
「わたしが社会を変えなくちゃ」etc…
そして面白い話じゃないと聴きたくないとも思ってた。
「オチはないんか〜い!」
「話、ながっ。整理して話してくれーぃ」
これまでの自分がどれだけ上から目線でおこがましかったのか、自分がすごく恥ずかしくなりました。
(スウさんがわたしに何かをアドバイスしてくれたのではなく、スウさんの「在り方」が私に気づきをくれた)
…
私が乳がんと診断され、多くの方にお見舞いの品をいただいたお返しにわたしが選んだものが、スウさんが愛娘まいちゃんと共につくった「ほめことばのシャワー」という冊子。
「あなたはあなたのままでいい」
「あなたがいてくれるだけでわたしはうれしい」
わたしと関わってくださっているすべての人に贈りたい言葉がそこにはたくさんありました。
2022年11月に娘2人とけーすけと、津幡町のスウさんのご自宅に伺ったよ。
スウさんは娘たちにどうしても出会って欲しい大人だったから。
(この時、長女のお腹には赤ちゃんがいたよ♡)
今回は、わたしにとって「自分の人生に最も影響を与えてくれた」方と一緒に、死生観のおはなし会を開くというなんとも贅沢な企画でした♡
お昼ご飯は、牛すじオーガニックカレー。
地元産の野菜たっぷり、赤玉ねぎの酢漬け、完熟トマトとポテトサラダ。
まず、けーちんの死生観のおはなしを聴いていただきました。
約170枚のパワーポイントの中からチラ見せ。
事前に葬儀の相談に行くといいよの話。
長尾先生の「平穏死」の話。
苦しまずに亡くなった父の話。
「あなぐまさん」と名付けた意味。
ゴールが変わると行動と言動が変わるってこと!
私のはなしを聴いてくれたスウさんが、facebookに感想をまとめてくれたよ♡
…………スウさんの7/8の投稿より…………
東京からきたきょうこさん、
娘と同じピースボートに乗ってたというモンリー。
第二部はスウさんのお話。
書き起こしの抜粋です!
…
(けーちん死生観の)「ゴールの話」を聞きながら、NHKの朝ドラの「虎に翼」を思い出した。
虎ちゃんの夫が戦争に行くことになった時、
「僕の願いは、虎ちゃんが人生を後悔しないように生きてくれること、それが僕の望みです」
と言ったこと。
前までは「天皇のために生きなさい。死になさい」と言われていたけれど、日本国民は戦後に新しい憲法を手にした。
憲法13条には、「これからはあなたが個人の考えを持ち、周りに流されるのではなく、あなたがあなたらしく生きていい」「唯一無二、取り替えの効かない存在」とあった。
父はほぼ老衰で自宅で亡くなった。
チューブに繋がれることなく、枯れるように、全然苦しまず。
父を看取ってくれた義理の姉は、末期のガンで亡くなった。
義姉は元気なうちから「尊厳死協会」に入っていて、遺影が写してあり、葬儀に誰を呼ぶかも記してあったので残されたスウさんが困ることはなかった。
痛み止めのモルヒネは打っていたけれど、チューブに繋がれることもなく、「尊厳死」を望んでいることを病院もわかってくれていた。
医師がまぶたを開けて死亡を確認するときに、(亡くなっているのがわかっているのに)「ちょっとまぶしいですよ」と姉に告げた。
(大切にされていると感じ)その一言に救われた。
母は中学2年の時にガンで亡くなった。
その後、半年たたないうちに17歳離れた兄が自死した。
家族が自死すると残された人は自分を責める。
父や姉の前では決してこの話はできないし、誰にも言えず、「心臓麻痺で亡くなった」と言ってきた。
「残された人を苦しめる自死は絶対にいけない」と善悪で考えていた。
けれど、 「紅茶の時間」に来る方たちで人生のものすごく深い苦悩を話してくれた人たちがいた。
始めのうちはあまりにも深刻で重大な話が怖くてオロオロしていたが、スウさんはその後自分なりに勉強した。
辛いことが一生続くということはまずないとは思う。
どこかで誰かと出逢ったり、へろへろな自分が誰かをサポートする場面もあったりする。
けれど、「この苦しさがずっと続くなら、いっそ」と思ってしまう。
遺される我が子や夫のことを考える余裕などない。
そんな話を聴いていくうちに、兄のことを「どうして死んだの?(家族をこんなに苦しめて)」と「質問するふりをして」責めていたことを終わりにしたい、兄の存在を認めたいと思った。
兄が亡くなって40年目の日に、自分を責め続けて心を閉ざしていた義姉と話した。
「紅茶の時間でいろんな人の話を聞いていたら、お兄ちゃんもそんな気持ちになったことがあったんじゃないかなって思った。もう責めないことにしたし、責めるのはもうやめよう。父を最後まで看取ってくれて、娘をあんな風に愛してくれてもう充分だよ」
義姉と魂の会話をした半年後に、義姉は末期ガンと診断された。
スウさんは、家では明るい子を演じていて、くすぶってた気持ちをノートにだけぶちまけるような子だった。
高校1年生の時に「月光荘」という画材屋に通っていて、そこの(父と同じ歳くらいの)おじちゃんがスウさんをじっと見て
「スウや、お前さんは面白いなぁ」
と言ってくれた。
「変だね」「変わってるね」って言われることが多かったスウさんが、「私という存在が認められた」と思えた言葉だった。
この60年前にかけてもらった「スウや、お前さんは面白いなぁ」は言葉の灯として、今でも内側から自分を温めてくれている。
「自分の気持ちを言葉にする」というのはとても難しいこと。
みんなが「◯◯って思ってます」と言えて、気持ちにフィットした言葉で伝え合うことができたら世界は平和だと思うけど、なかなか難しい。
上から目線で「早く話せ」と急かされたり、「またその話か」って蔑まれたり。
そうすると途端に、気持ちが言葉を探せなくなる。
「誰もが身の丈で認められて欲しい」と思っているけど、世の中は「Do的」な価値観の方が大事にされていて、
「何ができた」「優勝した」「100点取った」とかで人を見たがって、数値化できないことはとてもないがしろにされている。
紅茶の中では、(できたことを「すごいね!」とは言うけど)、あまり表には出てこない「Be」のところにフォーカスする。
「あなたらしいね」
「まっすぐだね」
すごく丁寧な人は会社では「鈍い」と言われてしまっているかもしれない。
【「のち悟らん」のギフト・思いがけず利他】
自分で自分のやっていることは見えない。
「紅茶の時間」をやってきて、「何やってるんだろう」と思うこともいっぱいあった。
何も特別な事はしていない。
お茶を出して、話したい人がいれば聴かせてもらい、相手が見えていない「自分の素敵なところ」を伝えているだけ。
ある人が、
「元気で前向きな人はパートやPTAなど行けるところがいっぱいあるけれど、そうじゃない時は行ける場所がない。だから紅茶があってよかった」
と言ってくれた。
「紅茶の時間は、元気のない時に行ける場所なんだ」ってことをその人に教えてもらった。
「月光荘おじさん」が「お前さんはおもしろい」って言ってくれたことで、「人と違っていることは良いことだ」と思えた。
自分では自分のことは見えないし、自分がやってることがわかるのはずっと後から。
「のち悟らん」は聖書の中の言葉で、亡き父がよく言っていた言葉。
後になって気づくことがたくさんあるんだよってこと。
(けーちんの話に出てくる「父からのギフト」のくだりで)
「ギフト」と言うのはその場でパッとわかることじゃなかった。
いろんなことをくぐり抜け、体験し、家族で話し合って、できるだけ相手のことを思って、自分に嘘をつかずにいろいろやってきて分かること。
相手の話を聴くことで、自分が相手の上に立たないことを大事にしている。
「(上でも下でもなく)たいら」でありたいと思っている
自分で自分のしていることがわからない。
良かれと思ってしたことがその人にとって良いことになっているかどうか分からない。
巡り巡って「あの時、あなたが言ってくれたことがね、私の背中を押してくれたんだよ、一歩踏み出せたんだよ」って忘れた頃に言われることがある。
意図的に「この人の背中を押してやれ!」「この言葉で教えてやる」って、そんないやらしいことないよね。
「思いがけず利他」言う言葉や概念が好き。
「誰かのため、人のためにすることが回り回って自分のためになる」と昔から日本では言われていたけれど、人のため人のためって、ちょっと胡散臭いかな。
ジャックアタリさんというちょっと有名な方が、「人のために、ってすることが、回り回って自分に利益が入ってくるんだよ」とおっしゃった。
そこに計算みたいなものを感じた。
「利他に生きることが、最終的に自分の利益に返ってくる」みたいなことに「ん?」と思っていたら、さらに「う〜ん????」って思っていた方たちが、「利他学」という会議をはじめた。
まわりまわって「あの時に」って返ってきて、そこで初めて受け取られて初めて「利他」が発動する。
「誰かのため・人のため・あなたのため」って言うことが誰かを苦しめることがある。
利他には「もらったから返さなきゃ」みたいな「お返し」みたいな危険性がある。
利他は慎重でなければいけないと思う。
「思いがける利他」ではなくて「思いがけず利他」がいいなと思った。
【映画「かづゑ的」】
先日『かづゑ的』と言う映画を見た。
瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所・長島愛生園で、宮崎かづゑさんは10歳で入所してから約80年、ずっとこの島で生きてきた、92歳の和江さんの一生を追ったドキュメンタリー。
「ビーイングかづゑ」
すごい言葉だと思う。
(スウさんは)伝えることが役目だと思っている。
「原発」のことを語る時も、いろいろ勉強したり講演を聴いたりするけれど、わかりやすく伝えるためには「食べたり、飲んだり、寝かせて醸造して、発酵させて」自分の言葉として出していた。
おはなしの出前のときにはいつも気持ちが言葉を探してる。
「今日来てくれた方たちにどうしたら伝いたいことが伝わるかな」
と思っている。
今は憲法の話を伝えている。
「聴く人のレセプター(受容体)」次第
「うんうん」って聞いて忘れちゃう人もいるし、何か単語が引っかかって、のちに思い出してもらえることも。
何年か後に「すーさんの言ってたことはこれか!」とハッと思い出してもらったらそれは嬉しいこと。
【ムヒカさんの言葉】
ムヒカさんはウルグアイの世界一貧しい大統領。
日本に来た時、学生たちに向かって、
「植物の種子は、風や鳥が運ぶ。人の考えの種は人が運ぶ。そんなにたくさんは芽を出さないだろう。でもそのうちのいくつかは根付いて芽を出しておいしげっていく」
と言う話をした。
たいていは芽を出さず、風に飛ばされちゃうかもしれない。
言葉は捕まえられないから。
それでも自分の信じていることや自分が思うということを伝え続けていきたい。
「beingスウ」
娘のまいちゃんが「他の誰とも取り替えがきかないこと」と、「ほめことばのシャワー(冊子)」の最後に書いた。
◯全ての国民は人として幸福を追求する権利がある
◯あなたはあなたを生きていい
◯周りに流されないで自分を持って生きていい
主催者側・企画する側は「参加者数が多いといいな」と思うけれど、参加人数が少ないととても濃密な時間ができるし、一人一人と会話のキャッチボールができる。
もし人が多かったら、「今日はありがとうございました」で終わっちゃう人も出てくる。
質が違ってくるんだよ、おもしろいね。
そう思うと「これだけしか集まらなかった。残念」って思わなくていいね。
↑↑↑↑↑
スウさんからは宝の言葉を今回もたくさんいただきました!
ありがとう♡
…………スウさんの7/12の投稿より…………
(アーカイブの販売も2,000円でしています![email protected]まで)
ありがとう!
ああ、あああ
今井さんが持ってきてくれた「414(よいし)カード」!
https://sachihouse.org/action/414card/
おはなしのきっかけづくりにいいなと思った!
夕飯ご一緒できた方にタコライス(+サラダ)!
こちらも野菜たっぷり♡
その後は宿泊してくださったみなさまと、遅くまでいろんなおはなししたよ♡
スウさんと夜も朝も一緒に過ごせるなんてスペシャルな時間でした。
朝ごはんは、プレートのおかずと、けーちゃんが育てた山の湧き水で育った「源流米ミネアサヒ」、けーちゃんが3年前に仕込んだオーガニック味噌のお味噌汁。
こちらがお泊まりのメンバー♡
楽しい時間を一緒に過ごしてくれてありがとう!
死生観のおはなし会「ゴール設定をすると生き方が見えてくる」のおはなしを各地でしたいです!
お招きください♡
[email protected]
090-1280-0033まで!
つづく。