バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

土管の中から

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子どもの頃、両親と日曜日に近くの公民館へ行ったことがある。その公民館は公園と神社が同じ敷地内にあり、両親が公民館へ行っているあいだ、わたしは公園で待っていた。公園にはブランコとジャングルジム、鉄棒のほかに大きな土管があった。この土管がお気に入りで中に入ってひそひそ話をしたり、上によじ登って腰掛け、空を眺めたりした。当時、ドラえもんに出てくる公園(主にジャイアンのリサイタル会場)にも土管があることが嬉しかった。あと、お笑いマンガ道場で富永先生が鈴木先生のイラストを描くときに土管に入っているモチーフが多く、公園の土管を思い出しながら笑っていた。この日曜日は、私のほかにも親と一緒に来ている子が何人かおり、短い時間一緒に遊んだ。

両親が何をしに公民館へ来ていたのかと言えば、選挙の投票だった。選挙があれば当たり前のように投票所である公民館を訪れた。その日の夜は翌日の仕事が早い父は床についたが、母と兄、そしてわたしは選挙速報をテレビで観るのが常だった。

当たり前だが小学生のわたしには投票権はなかった。けれど選挙速報を観るのは好きだった。一般的に大人は強くてなんでもできる人だと思っていたが、その人たちがテレビの中で心底喜んだり、泣いたりしているのが新鮮だったのだ。多くの人が両手を挙げて万歳をし、母はどの政党が権力を持っているのか説明してくれた。テレビから得る情報で疑問があれば、母と兄と議論した。選挙は私に普段、考えることのなかった事柄について考える場を与えてくれた。選挙特番を観ながら私達は2時間でも3時間でも話をしてしまうことが多く、翌日の授業がひどく眠かった。

わたしは選挙権を得て、あのテレビの出来事に参加できることが嬉しかった。まず、自分が国民として権利を与えてもらえる存在であることが肯定的で嬉しかった。次に自分の考えを一票というかたちで表明できるのが嬉しかった。

私は自分で選んでこの国に生まれたわけではないが、自分がいる場所が人間の尊厳を損なわない、平和な場所であることを願っている。

投票所入場券が届くと私は国民として存在している気がしてやや安心する。ただこれもぬるい場所にいるから思えることであって、選挙権のない人びとがいることを忘れてはならない。

投票した人が当選すれば素直に嬉しいが、その他の立候補者にも多くの票が投じられた際は、皆が何をもって支持しているのか考えるきっかけになる。自分の考えを押し通すというより、それぞれの生活から皆は何を求めているのかを知り、可能な限りの争いごとがなければ良いと願う。

どれだけ強い気持ちがあっても、相手を貶める言葉を投げることは極力避けたいし、どれだけ素晴らしい人であっても貶めたり、蔑んだりする発言の多い方には賛同しかねる。

平和ってなんでしょう。

国と国の争いごとだけでなく、隣り合うあなたとわたしがお互いに理解しようとする心を持ち合わせることではないのでしょうか。

 

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