バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

たからもの


f:id:bambi_eco1020:20241202223050j:image

「ことば」が喉の奥の方で止まってしまっているようで、口から外へでてこない。

自身の輪郭が見えづらくなっているのがいけない。

なにかひとつでも「ことば」を記せば動き出す気がするので他愛もないことを綴ってみる。

 

先日、食事とリーディング公演を楽しむMPADという企画に参加した。

私には一緒に行くような友達や近しいひとがいないので、今回もひとりで参加した。ひとり参加の人はひとり参加の人のみで構成された席へ案内される。その日はわたしの隣に、にこやかな笑みを浮かべる女性がいらっしゃった。ふたりがけの席だったのでわたしから彼女に話しかけてみた。何気ないことばの中から会話の糸口を探す。同時に会話を楽しみたい方なのか、静かに時を過ごしたい方なのかを判断する。ほどけた糸の先から糸電話で話をするようにひとつ、ふたつと話題を膨らませていく。柔らかく愉快に笑うその人と豪華なお弁当を食べながら、これ多くないですか、こっちにもあっちにもお肉があるし、デザートまでついててすごいですねなどと話しながらすべて平らげ、ふたりで笑った。

「よく本を読まれますか?たくさん読んでいそうな気がします」

彼女は私にそう言った。娯楽として本を読むものの、本をたくさん読んでいそうなどと言われたことは思いつく限りではなく、なんだかくすぐったくなった。食事を終え別の場所へ移動した。そこに彼女の知り合いがいたようで彼女はそちらへ向かっていった。ひとりになった私は境内の天井を眺め、大きく息を吸った。空気がしんと音がしたようだった。リーディングを観るためにふたたび食事をしていた場所へ移動した。テーブルは片付けられており、座布団と椅子が並べられていた。庭を眺めるように並べられた座布団にゆっくり腰を下ろした。闇のなかに小さな舞台があり、その上でドレスを着た女性が感情を乗せ、文章を読んでいく。いつもは目で追っている文章が人の口から発せられる音となり、冷たい空気に混じったあと私の耳に届けられる。なんとも優雅でたおやかで強かだった。美しかった。

終演後、余韻も冷めやらぬ中いちばん最初にに外へ出た。外では友人が関連の本を販売していた。朗読の世界に飲み込まれる前に現実へ足を踏み入れねばと友人の本販売をお手伝いした。ひとり、またひとりと参加者が外へ出てくる。そこにわたしの隣で食事をしていた彼女が現れた。彼女は本を購入してくれた。そしてまた、どこかでお会いしましょうとわたしの肩をぽんぽん叩いて帰っていった。

今日、はじめて会ったひとに触れられ、また会いましょうと言われたことがひとつの物語のようだった。

おそらくこの場面をわたしは忘れることがないだろう。

 

わたしの映像記憶にしまいこんだのでこの場面をわたしはいつでも取り出すことができる。そうやってまた日々の暮らしのなかで時々取り出しては落とさぬように手で包み、宝物のように愛でるのだ。

わたしのいくつかの宝物は誰にも奪われることはない。

 

 

達郎のCD

娘と車で出かけたときに、このCDをかけて欲しいと1枚のCDを渡された。それは少し前に私が娘に買ってあげた山下達郎のCDだった。山下達郎はサブスクを解禁していないため、曲を聴くには購入が必須となる。

娘は購入した山下達郎のCDが届くとうれしそうに開封したのち、で、このCDを、聴くものってあるの?と聞いてきた。プレーヤーの存在を確認せずにCDが欲しいとは見切り発車もいいとこである。私は棚から息子が置いていったCDラジカセを出してあげた。使い方を教え、しばらくはラジカセでCDを聴いていたが、車でもCDが聴けることに気づいたようだった。

早速、娘から受け取ったCDを車のプレーヤーにセットし、曲をかけた。

私は特に山下達郎に思い入れはないのだが、聴いたことのある曲が次々に流れてきた。「高気圧ガール」「クリスマス・イブ」「アトムの子」、音を聴いていたら歌詞が浮かんできたので口ずさんだ。

あれ?お母さん知ってるの?山下達郎の隠れファン?などと娘は不思議そうに言った。私もなぜ歌えるのだろうと思ったが、山下達郎の曲はドラマやCMで流れることが多かったので、知らぬ間に覚えてしまっているようだった。考えてみれば、平成初期はまだインターネットも普及しておらず、娯楽の多くはテレビかラジオだった。ドラマなども皆が観ているため、面白いと聞けば私も観ようとテレビをつけた。CM中につい触ってしまうような携帯電話もなく、トイレに行く以外はなんとなくCMを眺めていたのだった。

この曲はシュガー・ベイブ時代のやつ!、「DOWN TOWN」が流れてきたとき、娘は言った。あ、シュガー・ベイブとかも知ってるんだ、それならシュガー・ベイブのメンバーもわかる?と問いかけるたら、山下達郎以外は知らないと娘は答えた。

そうなんだ、私は大貫妙子が好きなんだけどなあと答えたあと、そういえばベースの寺尾次郎は寺尾紗穂のお父さんだよと教えてあげた。

え!そうなの!と驚く娘。

山下達郎から私が色々助けてもらった寺尾紗穂さんまで話が繫がってしまい、なんだか愉快だった。寺尾紗穂さんの連絡先も知ってるからお母さん、すごい!とはじめて娘に尊敬された。

先日、ネットラジオ、「伊藤銀次のPOP FILE RETURNS」に寺尾紗穂さんがゲストとして登場した。伊藤銀次さんと寺尾紗穂さんは初対面だったようだが、寺尾次郎さんの話でだいぶ打ち解けていた。寺尾次郎さんはカレーライスのライスとルーを全部混ぜちゃう人だったよと伊藤銀次さんが話すと、寺尾紗穂さんがそれはイヤですねって返してて笑ってしまった。

父親が死んだあとに父親のエピソードを聞くのはどんな気分だろうと想像したが、自分に見せてくれなかった父親の顔を知るのは怖いようで嬉しいことではないだろうかと思ったのだった。

 

 

支えるもの

X(旧Twitter)で、来年The Flaming Lipsが来日することを知った。うわー、行きたい!と思ったが東京のみ平日の2日間なんて行けるわけない。指をくわえて指の味を確かめながら涙の味も同時に味わった。

The Flaming Lipsをはじめて観たのはSUMMER SONICだった。それはサマソニ第1回目の富士急ハイランドで、熱中症になりそうなくらい熱気で溢れた室内のライブだった。洋楽に詳しくない私は外のライブと室内でやるライブのどちらを観るか迷っていた。すると友人のノリちゃんが「えこちゃんならThe Flaming Lipsが良いと思うよ」と勧めてくれたので素直にその言葉に従った。ちなみにノリちゃんは外でやってたジョンスペ(The Jon Spencer Blues Explosion)を観に行ったので、本当に私にはThe Flaming Lipsが良いと思ったのであろう。

事前知識もほとんどない中で観るライブに大きな期待はしていなかったが、私が観たものは以後、忘れることが出来ないほど素晴らしいライブだった。暑い室内で汗を拭くことも忘れ、ただ涙を流していた。まばたきをすることも忘れていたくらいだった。音とシャボン玉が弾けて揺れ、私の中へ入りこんでくる。

夏フェスには何度か行ったことがあるが、あれほどの強烈な体験はない。観終えたあと、ノリちゃんに「すごかった!とにかくすごかった!勧めてくれてありがとう」って興奮状態で伝えた。「それなら良かった」ノリちゃんは笑顔で言った。

ここまで書くとやはりライブへ行きたくなってしまう。それからノリちゃんにも会いたくなった。元気かな。

 

 

いつも身につけていて、もはや私のお守りと化している活字のペンダントがある。私はとにかく寝るのが好きだと話していたら友人が「寝」と彫られた活字ペンダントをプレゼントしてくれたのだった。

5年くらいはほぼ毎日つけているのだけれど「寝」の角が丸く削られてきた。ぶつけて削れるというより、衣服に擦れて少しずつ減っていったのだろう。もうひとつはしんどくなったり、自分を勇気づけるときに「大丈夫、私は、大丈夫」と心で唱えながら握りしめているからだろう。

この活字がどれほど私を支えてくれただろうか。

昼逃げするときも、調停の日も涙が枯れるまで泣いた日もいつも一緒に居てくれた。

支えているくせに「寝」って文字なのがなんだか抜けていてそれも気に入っている。

これが「魂」「勇」「志」とかだったらしんどくなりそうだから。

f:id:bambi_eco1020:20241030214449j:image

f:id:bambi_eco1020:20241030214442j:image

 

 

 


www.youtube.com