Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

物価高騰の意外な犯人

今の日本では消費者物価指数(CPI)ベースではせいぜい1%程度の物価上昇ですが、石油や穀物など生活に影響を与えやすい商品の価格が高騰しているため、消費者心理としては物価高を感じることが多くなっています。
さて、この物価高の「犯人」とされるのが、石油や穀物などの商品市場における投機的な取引ですが、実はそれ以外にも意外な犯人がいるようです。


G8では一言で言うと、為替はごまかしながらもドル高追認、原油価格やコモディティ価格については問題であるという認識を共有したものの原因や対策については合意形成できず、といったところでしょうか。


原油を例に取れば、価格高騰の原因の一部が需要増加に伴うものであることには異論がないでしょうが、ここまでの高騰の背景に需要をベースとしないお金が流れ込んでいることがあるのもまた疑いのないことでしょう。「需要をベースとしないお金」というのは必ずしも「投機資金」と言い切れない部分があります。最近話題になるのは、年金基金などの長期投資にもとづくインデックス買いなどです。彼らは個別のマーケットについて特別のノウハウを持ち合わせていないのですが、ともあれ「ひとつのアセットクラスとしてのコモディティー」を「リスクリターン」の観点で最適な「分散投資」を行うために利用しようとしています。有名なカルパースは資産の一定割合をコモディティーに投資すことを明言しています。この際彼らが使うのはETFだったりインデックスファンドだったりするのでしょう。


純粋な投資家としての立場で、リターンをあげることを要求されている立場では、期待リターンが高く他の資産との相関が低い(あるいはマイナスの)資産を入れることは理にかなっています。これによって一般的にはリスクを下げてリターンがあがる。つまり効率的フロンティアを引き上げることができる。

資源価格高騰と長期投資 厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)/ウェブリブログ


この厭債害債さんの記事によると、石油や穀物などの商品価格高騰の原因の一つとして、年金基金などの長期投資が流れ込んでいることがあるそうです。
年金基金の元となるのは、私たちが老後に備えて積み立てているお金であり、そのお金がより高いリターンを求めているのは、結局私たちがよりよい老後を送るために年金を確保するためですから、結局、私たちが老後の保障を求めていることが、物価高騰を招いているということになります。


さらに言えば、年金基金のような投資は長期投資ですから、これが商品市場に大量に流れ込むと、長期にわたって価格が高止まりすることになり、今批判を浴びている短期の投機資金よりも問題が大きいのではないかと、厭債害債さんは述べています。


しかし、本当にそのような行動が長い目で合理的かどうかは疑問が残るところです。
まず第一に、これまでも何度か取り上げてきたことですが、期待リターンはヒストリカルデータでしか測定していませんからおのずから限界があります。これはある意味ポートフォリオ理論の限界といってもいい。今は過去5年をとれば高いのは当然です。リスクだって一本調子であがっているから低く出るのも当然です。同じ意味で株や債券との逆相関だって当然強まります。直近のデータだけでとったポートフォリオ効果が相当インフレートされている可能性があります。


第二に個人や小規模ファンドが先物で暴れているうちはいいのですが、巨額の資金を抱えた年金が速いペースで市場に参入し始めると、市場が壊れます。現に起こっているのはそれではないかと。年金は長期投資という性格上、そしてインフレをヘッジしたいという性格上、インフレの原因となりうる商品先物については原則ロング(買いもち)をとります。短期でのトレーディングならまだしも長期の買いもちは要するにその商品(たとえば穀物)を買い占めているのと同じ効果を持ちます。本来は買いもちは年間の対象作物の年間生産可能量(の一定割合)にとどまらなければおかしいのですが、今のところそういう規制は働いていないのではないでしょうか?つまり根雪のようにつみあがるロングが需給をどんどんタイトにしてしまうということです。この意味で長期の投資家は短期の投機よりたちが悪いともいえます。


第三にファンドを通じて取引を行うことで、自分たちの行動が引き起こしている世界の痛みに鈍感になっている可能性があります。自分たちが直接マーケットに参加していればそれでも自分たちの行動が価格を引き上げているという実感からもう少し抑制的になれるかもしれませんが、ファンドに投資するだけであれば直接の感覚を味わわないまま全体のリターンがうまく言っていればスルーされてしまう可能性があります。
ところで、年金投資で今でも話題になるのは社会的責任投資(SRI)というテーマです。「庶民」の貴重なお金を預かる基金の運用者として、社会的に有益な企業に投資し、あまりよろしくない企業をはずすことで社会貢献を果たす。そしてそうすることで結果的にパフォーマンスもよくなる、というのがSRIの背後のアイデアと理解しています。しかし、商品先物に間接的に投資しそれが価格高騰を招き途上国の一部で食料が不足し暴動すらおきかねない、という状況で、彼らは最終的な説明責任に耐えられるのか?という疑問があります。


もっとも、所詮年金基金はお金さえ儲けてくれればいいという割り切った考えはありだと思います。それはそれでひとつの立場として尊重できます。ただ、基金自身が穀物価格高騰の原因を作る「社会的無責任」主体となったとき、自分自身その矛盾に耐えられるのでしょうか?

資源価格高騰と長期投資 厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)/ウェブリブログ


そして、商品相場がバブルとなっているため、このバブルが崩壊したとき、そこに流れ込んでいる資金も損害を被り、年金基金も大きな損を抱え込んでしまうのではないかと懸念しています。


さらにいえば、マーケットサイズを考えもしないで投資を行った結果、必要以上にインフレを高騰させ、株や債券を暴落させてしまったら全体としてのパフォーマンスにはマイナスになります。これは受益者に対するフィデューシャリー(善管注意義務)を果たしたことになるのでしょうか?年金受給者にとってインフレは敵ですが、彼らにとっては利益相反行為にならないでしょうか?


最後に、私の目には、このコモディティー相場は形を変えた証券化バブルにしかみえません。本来金融商品となりえなかった、あるいはなってはいけない対象(サブプライムも同じ)を「大規模に」金融商品化してしまうことで人為的に大きなお金の流れを作る。その過程で上前をはねる人々に生き残る余地を与えているのです。長期投資と称してコモディティーのインデックス投信を買い進む大手の年金は、世界の人々に与える影響と同時に、このことも考えておく必要があると思います。


もちろん価格が高騰することで新しい生産のインセンティブが沸くという面は否定できませんが、短期的には経済が壊れてしまうリスクをはらんでいるということだと思います。それは商品という現物がすぐに増産というわけに行かない代物だからです。数年前イラク戦争後原油がまだ50ドルだか60ドルだったころ、当時のグリンスパンFRB議長がNYのEconomic Clubでした講演がいまでも頭に残っています。原油価格高騰を肯定的にとらえそれが新たな原油生産技術の進歩を生み原油の安定供給と価格の安定に最終的には寄与すると述べておられました。しかし、実際はもはやそういうことを言っていられない水準まで来ています。意図的かどうか別として、現状のような極端な事態を招いた一因はグリンスパンのような「合理的経済人」にもあります。(まあ長いスパンでは・・・という言い訳はできるんでしょうけれど、それまでの過程が結構大きな問題なんですよね、いつも)。


原油とか穀物とかグローバルな規模で人間の生活に直接かかわるプロダクトについては、素直に市場の失敗を認めるべきではないか、と考えています。特に先物市場によってなされる価格形成メカニズムに関係者がもう少し切り込んだ分析と対策を行う必要があります。本当にここまで自由な市場が人間の厚生増大に貢献できているのかどうか、改めて考え直す時期に来ていると思っています。


ついでに言えば、排出権取引も同じ香りがしています・・・

資源価格高騰と長期投資 厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)/ウェブリブログ


結局、私たちの老後を保障するはずの年金が、積もり積もって巨額となり、それが商品市場に流れ込んでバブルを呼び、世界中に物価高騰や食糧不足を引き起こした挙げ句、バブルが崩壊して、年金そのものも目減りしてしまう、という話になってしまいます。
これを避けるためには、厭債害債さんも指摘しているように、社会的責任投資(SRI)の考え方に基づいて、商品市場への投資は規制するということが必要なのでしょう。今、世界では物価高騰に伴って、投機資金の規制論が叫ばれていますが、本当に必要なのは年金のような巨大基金の規制論なのかもしれませんね。


あと、最後に排出権取引について述べていますが、ここに年金のような巨大資金が流れ込んだ場合、二酸化炭素排出コストが非常に高くなり、原油高と同じように経済活動を低迷させてしまうのでしょうね。単純にエコロジーを唱えるだけでは見えてこない問題が、経済を絡めると見えてくるようです。