「肯わぬ者からの手紙」第66信(『週刊金曜日』2024年10月25号)[全文]
2024年 11月 05日
『肯わぬ者からの手紙』第66信
あれが許されるなら最早
許されぬものはない悪業
(『週刊金曜日』2024年10月25日号)[全文]
個人的事情で遅くなりましたが、以下、「肯わぬ者からの手紙」第66信《あれが許されるなら最早/許されぬものはない悪業》(『週刊金曜日』2024年10月25日号)全文を公開します。
琉球弧をめぐる状況は何重にも閉塞しています。
先般の大資本出版社の劇画雑誌における右派劇画家の「デマ」の問題等、相対的に容易に理非曲直の判断がつく事柄に乗って、自らの〝リベラル市民〟ぶりの承認欲求を満たそうとするような、とりわけ「日本人」(ヤマトンチュ)に顕著な沖縄〝消費〟の次元に留まっているだけでは、絶対に現在の困難な事態の本質は見えてきません。
この傾向は、「日本」から自らの意の向くまま、沖縄〝消費〟の来訪を重ねる人々にも、また移住者の一定部分にも当て嵌まります(もちろん後者の方が、事態はもう少し込み入って、状況を複雑に腐蝕させているといえるでしょう)。
今回の衆議院選を通じても、琉球弧の政治状況の欺瞞ぶりには真に暗然たるものを覚えます。
翁長雄志県政の後半から、現在の玉城デニー県政に至る、一種壮大な理念の空洞化をつぶさに見れば、いまだ「オール沖縄」のスローガンが無検証に流通していること自体に深い憤りを覚えますが、そもそもそうしている人々は国会議員であれ、県・市町村議員であれ、地元新聞やテレビの企業ジャーナリストであれ、大学教員ら〝文化人〟であれ、沖縄社会における隠然たる既得権支配層であって、ちょうど前述の「日本」の沖縄〝消費〟者たちと、見事なまでに「共依存」の関係にあること、今回の論攷(ろんこう)で指摘したとおりです。
沖縄とまるで「鏡像」を成すように「日本」(ヤマト)の〝リベラル市民〟や職業政治家、〝御用メディア〟社員、似而非(えせ)〝文化人〟らが、いかに琉球弧の苦難を「食い物」にしているか――。
こうした「日本人」(ヤマトンチュ)は、たとえば、自分たちがその名を出しさえすればいっぱしの〝進歩的〟沖縄通を以て任じられると信じ込んでいるらしい瀬長亀次郎に関し、その〝スターリニズム〟ともいうべき冷徹な権力闘争ぶりを明らかにする「解説」を書くためにも、新川明さんが国場幸太郎の畢生の名著『沖縄の歩み』の復刊(岩波現代文庫)に尽力されたことの意味を考えてみるべきでしょう。
……と書いたところで、彼らが最初からそんなことをするはずもないのも明らかですが。
まこと、
《政治は人々を崇高にし、醜悪にもする》(船本洲治)
それまでは比較的、まともと思われた人物が、たかだか議員になった程度で保身に汲汲とする姿は、これまでにもさんざん見てきました。
ゼレンスキーを日本国国会に恭(うやうや)しく招待して、その悍(おぞ)ましい演説に総起立拍手をして見せた全与党・大半の野党の大政翼賛ぶりも、パレスチナで殺戮を続けるイスラエル大使に諂(へつら)いながら「沖縄平和賞」なるものを弄(もてあそ)ぶ玉城デニー県政の欺瞞ぶりも、すべては同根です。
そしていちばん重要なのは、琉球弧でも「日本」(ヤマト)でも、真に虐げられた「無告の民」が真っ先に、捨て石として、その命も尊厳も踏み躙(にじ)られてゆくにちがいないということなのです。
現にいまパレスチナで展開されている非道が、これだけ全世界周知の事実でありながら、まったく打ち棄てられているのと、問題の本質的構造としては同様に。
本日、11月5日。
9月24日に玉城デニー知事宛てに提出した申入書『沖縄県はイスラエルとの「協力」表明を直ちに撤回してください』には、いまだ、まったくなんの回答もありません。
私事ですが、現在、通常の締め切りその他、日日の作業ほか、年内に形にしておかねばならない、やや大きな作業があって、そのため、今月末くらいまで、時間の余裕がありません。
しかしもちろん、この問題に関しても、絶対にこのまま放置することはしないつもりです。
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