今般の弘兼兼史氏の〝劇画〟問題について
2024年 10月 22日
今般の弘兼憲史氏の〝劇画〟問題について
いまだ、沖縄の反基地の闘いに対し、このような「デマ」を拡散する事態となった今般の弘兼兼史氏の〝劇画〟問題——。
もともと、日本の男権主義・拝金主義の化身のような主人公の〝英雄譚〟には、かねて嫌悪しかなく私は来ているが(絵柄も好まない)、今回の件は、安倍晋三と〝コロナ禍だからこそ改憲〟なる対談をするような作者の基本的志向とも無関係ではあるまい(『安倍晋三 時代に挑む!』2022年6月/ワック)。
担当編集者の質的劣化も著しいにしても、日本でも最大手規模の出版資本の看板劇画雑誌の1つの影響力は大きい。
軍事基地建設に対する真摯な抵抗者たちへの誹謗(ひぼう)の桁外れの加害性は、形式的な「お詫び」や切り貼りの〝単行本収録時修正〟程度で、とうてい済むものではないはず。
何より、問題の根幹は、この国の情報消費者=大衆の意識に、劇画に限らず、それについて論ずるのも気恥ずかしくなるような臭気芬芬(ふんぷん)たる通俗小説を〝文学〟と扮飾する制度の欺瞞をはじめ、こうした巨大出版資本が隠然たる支配をすみずみまで及ぼしていること。くだんの〝男権主義〟〝拝金主義〟英雄譚が、これまで、どれほどの商業的成功を収めてきたか。
「『トルソに全ギリシアがある』ように、一木一草に天皇制がある」(竹内好「権力と芸術」1958年)——まさに、そのように、1冊の劇画雑誌に、今日の日本の制度的〝文化〟の本質が貫流している。
しかも、なんらかの形で、こうした〝産業〟の恩恵に与(あずか)ろうという下心がある限り、そうした者たちにおいては、表向き標榜される既存の〝政治的立場〟とも関係なく、検証はなおざりとなり、批判は事柄の本質に達しない不徹底な次元に留まる。
かくも低劣な次元の中傷とも闘いながら、しかも琉球弧の現在をめぐっては、最初から明白な敵、味方のふりをしながら、したり顔の猫撫で声ですり寄ってくる敵……をはじめ、重層的に存在する困難に、すべての問題を最初から最後まで、何一つ、忽(ゆるが)せにはしない覚悟で臨むしかない。
最低の敵だけ攻撃していさえすれば、問題が解決するわけではなく、むしろそれはある種の者ら(その立場は複数あり得るだろう)の〝思うつぼ〟なのだ。
針の穴を通るような困難な論理と行動を精緻に重ね、現実を開いてゆこうとする心ある人々と、共にありたい。
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