エゴン・シーレの自画像を模写する
ルノアールでも、ゴッホでも、ピカソでもなく、
エゴン・シーレという画家の、
それも自画像を選んだということ。
この絶妙な選択がすべてを物語っている
といってもいいほどです。
作者は大学生の男子。油彩。
骨格がはっきりと手で触れられそうな
意志的な下顎(したあご)。
高い鼻梁(びりょう)のむこうに
一瞬、こちらを見ているようでいて
鏡のなかの自分を見つめている視線。
エゴン・シーレは1890年、ウィーンでうまれました。
当時、画壇に君臨していたのは
アールヌーボーふうな美で世界を席巻した
グスタフ・クリムト。
親子ほども年の離れたクリムトに
エゴン・シーレは自分のデッサンを差し出し、
批評と助言をもとめたことがあります。
君はすでにわたしよりよく知っているではないか。
これがそのときのクリムトのことばです。
こちらが「ほおづきのある自画像」(1912年)
というタイトルがつけられた原画です。
この絵を見たとき作者は
ほかの絵では味わえなかった
精神のバイブレーション(震え)を感じ取ったのでしょう。
それがなにかを知るためには
ゆっくりと時間をかけ心の共鳴板を
とぎすましていくしかない。
エゴン・シーレがたどったであろうそのままを
キヤンバスに写し取っていく。
その時間の経過でしかみえないもの、
つたわらないものこそが
この画家が追いもとめたものではなかったか。
エゴン・シーレへの深い共感が
この絵に落ち着きをあたえると同時に、
人間の存在をむき出しに表現したいという欲望が
筆のタッチにもつたわってきます。
模写としても、また作者の作品としても
なにか人の心をとらえてはなさない
熱量のつたわってくるとてもいい作品になりました。
こういう絵がかけたのも
感受性がするどい若さの特権といっても
いいかもしれません。
エゴン・シーレの一生は第一次世界大戦をはさんで
28年という短いものでした。
第二弾として作者は
「エゴン・シーレのイメージで自画像をえがく」を
完成させました。
こちらもクリックしてごらんください。↓