紺色のひと

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親になる一年

僕の仕事がひと段落したのと、一年子守りで篭もりっきりの妻の慰安をかねて、温泉旅館に一泊してきた。胆振方面の古い温泉街で、今はやや寂れつつあるが、30年前には祖父もよく通ったと聞く。国道沿いの海産物直販所で中国人観光客の皆さんに混じって水槽の中の花咲ガニやホッキ貝の写真を撮りながら、僕と妻と娘マチ子を乗せた我が家の愛車ザラブ号は旅館へと向かうのだった(うむ、一文が長い。好きで書く文章はこうでなくては)。マチ子の温泉デビューである。


この状態でもさけとばと呼ぶのかは疑問。




夜。
マチ子を寝かしつけてから、物音を立てないように酒盛りの準備をした。広縁のテーブルに、スーパーで買った赤霧島と三ツ矢サイダー、さけるチーズと豆おかきを並べた。ペットボトルの口にタオルをかぶせて封を切った。おかきの袋はトイレで開けた。ひそひそ声で「24年度お疲れさま」と乾杯してから、自分たちのやっていることがなんだかおかしくなって笑ってしまった。「これがいわゆる『大人の時間』ってやつかな」と言うと、妻も笑って同意してくれた。
あと十日もすれば、マチ子は一歳になる。この一年、僕は仕事とその合間の資格試験でてんやわんやで、妻は新生児の世話でいつも寝不足だった。自分で言うのもなんだけれど、結構、大変な年だったと思う。
と、マチ子がもぞもぞと身をよじり、頭をかきむしり始めた。妻がそっと添い寝をし、腹に手を当てて眠りに戻そうとする。「ふわあ…」と声をあげたので、膝の上に抱き上げて背中をとんとんとすると、そのまま体の力が抜けていった。



翌朝、あわれ宙吊りにされサンドバッグとなるクマムシさん。カピバラではない。アイエエエ! オヤメニナッテ!



マチ子が生まれる前に、「大人になるのはともかく、親になる自覚が持てる気がしない」とか「後から振り返って気づくのだろう」とか書いていたのだけれど、僕にもようやくその自覚が起こり始めてきているようで、マチ子に対して「おとうさんは…」「おかあさんがね…」と語りかけるのに抵抗がなくなっていたり、わかりやすい変化が生じているのだった。

娘の名前はまだ決まらない。親としての実感とか、芯から湧き出る覚悟とか、そういうのは一体いつになったら持つことができるのだろう。
時には自覚の話を - 紺色のひと

いつも感じていた。自分の年齢と、大人であるはずの自覚の間に広がる果てしない溝を。「高校の先輩の年齢をとうに通り過ぎたのに、未だ追いつけない」あの感覚に似ている。
中学生の頃の、そして高校生の頃の自分から見た大人であったはずの24歳を既に過ぎ、仕事をして、結婚して、子どもができて、ついに親になった。それでも僕の自意識に明確な区切りとしての「大人としての自覚」が芽生えたとは思えなくて、それができないままに父親になってしまった。
意識しても仕方がないような気もするのであまり考えないようにはしている。ひとつだけ妙にはっきりとわかっているのは、この意識はある日突然解消されるものではないだろう、ということで、多分しばらく後にこの文章を読んで「そういえばいつの間にか親としての自覚ができていたな」と相対的に認識するしかないのだろう、と思うのでこうして書き残しておく。
汚れた季節に世界がひらけ、君の名は決まった - 紺色のひと


ソウハチガレイ。



お膳の支度をしてくれた仲居さんと雑談をしていて、「失礼ですけれど、ご主人は年齢よりずいぶんとお若く見られるんじゃないですか」と聞かれた。言い方にこそ気を遣ってくれているけれど、要は若い方に年齢不詳だということで、よく言われる。おいくつなんですか、と聞かれて年齢を答えると、一瞬言葉に詰まって、ああ、そうでしたか、でも言葉が落ち着いていらっしゃるから、などと言われた。
外見はこんなで、大学の頃から髪型も坊主頭のままだけれど、僕自身が確実に歳を重ねているという自覚はあって、体重や肌や筋肉や、いろんな項目でそれに向き合わざるを得ない。



地獄への道は善意でうんちゃらかんちゃら。



歳を重ねることが自覚できていても、大人として、親として、なんちゃらかんちゃら自覚が持てない、と言い続けている僕のことだから、「そういえば『自覚が持てない』とか考えなくなったな」とか思う頃には、既に中年を過ぎているのかもしれないな、と思ったのだった。
ともかく、どうにももやもやが残るのは、この一年で自分のことを「おとうさんだよ」と言うのに抵抗がなくなったのが、いつからなのかがわからないことだ。そういうふうに気づかなくなることが増えていくのが、僕は気に入らない。


まだ雪の多く残る峠で。