浄土真宗の門徒が開いたころからあの地域は大坂といわれていた。
秀吉が建てた巨城の名前は大坂城。
徳川幕府がはじまって大修復された城も大坂城と呼ばれていた。
町民文化が隆盛した元禄期も大坂城と呼ばれている。
その後、いつのまにか大阪城と呼ばれるようになった。
文献には「土が反るは不吉であるので大阪とよばれるようになった」と書かれているけど、これ、おかしいだろ。
地名が変更になったのであれば幕府の公文書に地名を変更した経緯が書かれるはず。なのにそれがない。
地元民が「不吉と思った」とかその程度の理由で改名されるとか。まるでもともとの地名が不吉ということで名が変わった多摩プラーザじゃないかよ。
日本第二の大都市の名前が多摩プラーザレベルの軽薄さで改名されていいはずがない。
Permalink | 記事への反応(3) | 11:40
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なんか不吉程度のことで元号変える国やんけ
明治から大阪に変わったんやから幕府の公文書にあるわけないやん(明治政府の官報調べろやで)…😟
干禄字書では、坂は通字、阪が正字とされている それぐらい古来からの異体字だし、江戸時代から明治時代にかけては大坂と大阪は混在してたらしい その時代だと坂と阪が別字であると...