文化のみち散策①:二葉館(旧川上貞奴邸) | ネコ人間のつぶやき

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 ちょっと間が開きましたが、名古屋市は白壁地区周辺へ。目的は文化のみちの散策です。

 

 

 まずは文化のみち二葉館へ。

 

 旧川上貞奴邸とも呼ばれています。

 

 川上貞奴(明治4年~昭和21年)は日本初の女優です。

 

 貞奴は一時名古屋で過ごしており、電力王と呼ばれた福沢桃介と住んだ邸宅がこちらなんです。

 

 

 貞奴と福沢桃介は若き日に交際していたんです。 

 

 しかし桃介は海外留学が決まっており、その後自身の出世のため福沢諭吉の娘と結婚、婿入りします。

 

 貞奴はオッペケペー節で有名な川上音二郎と結婚。

 

 貞奴は舞台には当初乗り気ではなく、出演していなかったそうです。

 

 しかし、川上一座のサンフランシスコ公演で、急遽代役が必要となり、貞奴が舞台に上がることに。

 

 これが日本初の女優誕生の瞬間だったんですね。

 

 いきなり海外デビューって凄い話ですね。

 

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1900年のパリ万博の貞奴公演を宣伝するポスター。

 

 19世紀末ヨーロッパで流行していたジャポニスム(日本趣味)。

 

 モネやゴッホ、ピカソをはじめ、こぞってアーティスト達がジャポニスムの影響を受けていました。

 

 1900年パリ万博で日本文化が注目されたんですが、貞奴もこの万博で舞台に立っています。

 

 ヨーロッパで「マダム貞奴」と呼ばれ、海外で大人気になった貞奴。

 

 

 貞奴は欧米の国々のトップに招かれ謁見しています。


 貞奴と桃介はそれぞれの人生を歩んでいました。


 音二郎が亡くなり、七回忌を終えて貞奴は女優を引退。

 

 その後、貞奴は現在の名古屋市北区大曽根に輸出向けの最高級の絹を生産販売する工場を立ち上げ事業家デビュー。

 

 旧知の仲である桃介と事業パートナーとなり、そして再び恋人関係に。

 

 すごい恋話ですね。

 

 
 貞奴が住んでいた生活感がめっちゃありました。
 
 貞奴は達筆でしたよ。
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 貞奴が使っていた品々。

 

 
 貞奴はこの部屋の窓から拡がる名古屋の景色を眺めていたんでしょうね。
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 ステンドグラスが綺麗!
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 ソファーの生地は貞奴の工場で作ったもの。

 
 貞奴が工場を訪れた際には彼女は工女に優しく接していたそうです。
 
 人格者なんですね。
 
  当時女性の社会的地位がとても低かったので、貞奴はなんとかしたかったと思うんですよね。
 

 

 貞奴がエレガントに螺旋階段を降りてくる情景を想像してみてください。

 
 19世紀末って芸術・文化的にすごい時代だったんですね。

 ウィーンではクリムトの分離派運動。
 
 パリはベル・エポックで、 そのミューズで女王が国際女優サラ・ベルナール。
 
 西のサラ・ベルナール、東の川上貞奴だったんですね。すごい。
 

 最近、大正浪漫に興味津々なんです。

 

 浪漫薫る佳き休日でした~。