雑草のない綺麗な田畑が農業の美徳とされ、人は作物が良く育つ肥沃な土壌作りを目指す。
草ぼうぼうで肥料も与えず、規格野菜より貧相な農産物に眉をしかめる。
協生農法は世界の常識からすれば非常識とされ、近辺からの風当たりが強い。
しかし草もない大地は表土とは言えず、生命誕生だけでなく消滅の機能もなく、自然循環の仕組みは遮断される。
表土の土壌は本来生き物達が築き上げるものであり、人知で出来るはずもない。
「雨降れば地固まる」
これは人間の畑や整地から出た言葉だが、表土構造がないただの土ゆえに重力で隙間が詰まり、耕して肥料や薬剤を混ぜれば混合土に過ぎない。
野山は逆で「雨降れば地はふかふか」、肥料や薬剤を全く必要としない。 土壌は生きているのだ。
人が作った畑は植物が自力で育つ基本条件がないのだから、調味料で植物を作る料理のような農業となる。
だから好みの味付けで多彩な味の野菜が出来る。
より美味しい野菜を作ろうと人は益々肥料を研究する。
日本と違い長期間雨も降らないアフリカでは、表土が一度壊れれば復元せず荒廃、生命のない死の大地があっと言う間に広がる。
数億年かけて生き物達が築き上げた大地の仕組みが一瞬で滅び去るのだ。
一度こうなれば表土は保水力もなく、水はすべて地下へ浸透してしまう。
いくら堆肥や土壌改良材、肥料を投入しようが土壌は回復不能、人知も及ばず放棄するしか術は無くなる。
家畜の糞尿も魚のアラも家庭の生ごみも同じ産業廃棄物であり、呼び方を変えれば有機肥料や堆肥となる。
有機、化学、どちらの肥料も循環上は同じものであり、どちらも早期肥大、つまりメタボにすることに変わりなく、人が求める健康とは相反する方向へ向かう。
肉も野菜果物もメタボにして、何年間もそれしか食べなければ同じメタボや不調が待っている。
最も耐久力を持ち、高度に進化した人間も復元能力を越えてしまい、自然治癒能力も免疫力も衰退する。
養分で肥大した植物、地球上の哺乳類にとってはそれらの植物は土中の廃棄物であり、出来るだけ避けようとするが、好んで食するのは人間しかいない。
農業の歴史を巻き戻し、人類発祥の地からやり直す。
人と動物が大地を共有、知恵も共有すれば共に豊かに暮らせるはずだ。 共存ではなく協生・・
肥料の行方
http://ameblo.jp/muu8/entry-12202847255.html
オーガニック理論の間違い 1
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