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カネゴンはなぜ負け戦が好きなのだろう。カネゴンが思うことは世界人類も残らずそう思うと仮定して話を進める【ありえぬ仮定のおれカネゴン】。

奇妙なことに、誰しも勝ちたいと思っていることは間違いないにもかかわらず、人は負け戦に強く惹き付けられる。勝ち戦が無条件によいものなら漫画も映画も勝ち戦で終始するはずなのに、実際にそれをやってみると、よほど巧みな演出を施さないと、たいていの場合強者による弱者のいじめにしか見えなくなる。たとえ最後には勝つとしても、一度手ひどく負けておく必要があることから考えて、やはり人類の心には仕返しがこの上もなくフィットするということでいいだろうか。たとえ法が許さなくても、仕返しとか復讐とか意趣返しというお題目が備わると個人の無茶な行動が正当化されてしまったりする。

そして仕返しの要素を除いても、どこか負け戦には何とも言えない甘美な魅力がある【一人でうっとりおれカネゴン】。勝ち続ける経験は特定の人間に集中しがちだけど、負けの経験は遥かに多くの人間によって共有されているため、共感を得られやすいというのもあるかもしれない。たぶん一番の理由は、負けた側にしてみれば負けっぱなしではそれこそ救いがないので、せめて面白い話として残し、勝ち話と競わせなければやってられないということだったのかも。幸いかどうか、負け話の方が勝ち話より印象が強くなりやすい傾向がある。上手に負ければ2000年持つことは既に証明されているし。