情報を読む力、学問する心

京都大学総長や国立国会図書館長も務めた高名な情報科学者、長尾真氏の自伝。氏の著書は何冊も読んだし、氏が編集委員だった岩波の情報科学やソフトウェアのシリーズ本も大学生の時に全巻読破したから、その意味では大変お世話になった恩人とも言える。
実際読んでみて、氏の学問への探究心と、己を無にして人類に尽くす心に感銘を受ける。やはり、一流の学者は心構えが違う。総長は決してなりたくてなったわけではないようだが、高い地位に推されるだけのことはある。
特に共感したのは、次の一節だ。

最近の学生は全く違っていて、修士課程の入学試験の面接で入学したら何を研究するつもりかはっきりと答えねばならないのはかわいそうである。卒業論文でやったことの延長か何かで具体的なテーマと内容を言わされることになり、早くから狭い範囲のことしか興味を持てなくなってしまうのではないだろうか。(p.32)

私は長尾氏よりかなり若いが、私の学生時代はまだ、入学したら何をしたいかはっきりと決めなくてもまだ大学院に入学できた。事実私もそのような学生で、経済学部から社会情報学の大学院を受けたのだが、卒論も書いていないし、何をしようか全く決めかねていた。しかし試験はできたので、合格できた。
大学院入試が悪化したのはその後の時代である。私の講座も、まさに大学院入試で、どんな研究をするのかを具体的に訊いている。私は本当は、このような入試のあり方はよくないと思っているのだが、時代の流れおよび他の教官に押されてこんな入試になってしまっている。忸怩たるものがある。何を研究するかなんて、入学前に分からなくていい。その代わり、私は、基礎的な学力の方をむしろみっちり身につけてもらいたいと思っている(具体的には語学、数学、歴史だろうか)。しかし、そうした声はもはや通らないのだ。
情報を読む力、学問する心 (シリーズ「自伝」my life my world)