以下は、写真とは関係のないオリンピックの放映を見ての感想です。
人間の運動能力なんて人類誕生以来の長い歴史の中で、遺伝子が固定されてきて変わらないと思っていたのに、「走る」「泳ぐ」「跳ぶ」なんていうシンプルな競技でもどんどん記録が更新されていくのがなんとも不思議だ。
まあ、単純に見える競技の中にも、若干の「技」の改良はあるのかもしれないが、たとえば「走る」技なんて大同小異で、そんなに変化しないと思えるのだが、「走行能力」の開発自体がまだ「未開発」段階で、人間が本来備えている本当の「限界能力」が引き出せていないのだろうか。
「世界一美しい体操」のチャンピオンの内村航平選手は、はじめは不器用で他人がみんな出来ることが出来なかったが、あるとき急にできるようになったのだと言っていた。体操は「技」の競技のように見えるけれど、本当はもっと単純な潜在能力の引き出し方に「コツ」があるだけなのだろうか。
人間の「能力無限説」は、人間の「尊厳」を傷つけないから、穏便な思想だ。
しかし能力は遺伝子で決定付けられるという考え方は、動植物の「種の改良」では当り前のこととして実践されている。
たとえば、「兵器としての馬の改良」は長い間続けられてきたに違いないし、現に「競走馬」では「血統」がもっとも重視され、競馬新聞では必ず書いてある。つまり「種馬」の遺伝子重視だ。
それでも、ハイセイコーのような無名馬が時には出てくるというのが生物の不思議なところが。。。
ところで「種牡馬」「種牡牛」という言葉はあるが、「種牝馬」という言葉にはあまりお目にかからない。
これは雄の遺伝子が重要視されているからかと思ったがどうも違うらしい。
遺伝子は精子と卵子にあるが、単に精子の方が量が圧倒的に多数手に入れやすく、容易に分配可能だからではないか。ようするに儲けやすいからだろう。
話がずれてしまったが、人間に適用すれば禁忌の「優生学」だろう。
幼少時から天才教育を受けてきた者ばかりがオリンピックやっても面白くない。
ハイセイコーが日本に出てくることを祈りたい。
ロンドンオリンピックで、一番期待を抱かせたのはサッカー。暑さで外出はせず、TVばかり見ていて頭がおかしくなっていたが、もうあとはニュ-スだけでよくなったから、安眠できるだろう。