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レンズ千夜一夜

1096 コロナ、コロナ(2023年4月17日スピードアナスチグマート20㎜FF1.5も奈良町を)現代戦


4月17日(月)、晴れ
(まさしく1年前の記事ですね。
内容もその時期のもので、
今から考えると、なんとも遅れっぱなし!)
でも、読者ゼロのブログなので、
作者が実は読者筆頭。
もし2、3年経って、この記事を読んだら、
時期のズレなんて文字通りno problem!でしょうね。

引き続き、コロナ後遺症で休学、自宅療養中の孫の当番です。
私が持参したアーシングマットがなかなか効果的で、
本人もかなり効果を感じて、
症状は軽快しつつあるようでしたが、
コロナ後遺症はしたたか。
また少しぶり返してきたようで、
両親が共稼ぎなので、私の応援はまだまだ必要のようです。
やれやれ。

それにしても、元凶はコロナです。
合衆国政府は、コロナの発生元は武漢の細菌研究所であり、
同研究所が作り出した細菌戦兵器が漏れ出たと断定しています。
中共政府はこれを否定していますが、
私は、コロナ発生当時、湖北省のトップの記者会見の不自然さに、
上記の断定の重要な間接証拠を見つけたと思っています。

省長はこう発表したのです。
「湖北省全体を本日の夜12時に封鎖する。」
感染拡大を防ぐために、
感染区域を現在流行中の地域に限定する措置なのです。
感染者が省外に漏れ出ることを防ぐための封鎖です。
そのためにはまさしく、即時断行が当然の前提。
それなのに、半日猶予を与えたのです。
つまり、省民に事前警告を与えたのです。
当然のことが起こりました。
どっと省外に逃げ出したのです。
でも、湖北省の発表を知って、
近隣各省は、湖北省からの感染拡大を防ぐために、
省境界を即時封鎖しました。
もちろんすり抜けた人たちも数多くいたでしょう。
彼らは中国国内での感染拡大に貢献したのかもしれません。
でも、流行病発生を知った省民が多く省外に逃げ出していました。
封鎖後は、航空便で海外に逃げ出しました。
こうして、中国全土、欧米日等、
全世界に新型コロナは拡散してしまいました。
まさしく見事な感染拡大作戦だったと考えられます。
この省長が習近平の部下であったことは偶然ではないと思います。

一方、中国の二人の軍参謀が表した、現代の戦術書「超弦戦」は、
この時期にあたって、実に啓発的です。
これからの戦争は、利用できるすべての手段を武器として戦うとして、
その例示列挙の冒頭に置いたのが、
なんと、「細菌戦」でした。
要するに、パンデミックをターゲット国に起こして、
国家としての抵抗力を削いでしまう。
どうやら、現実に、中共軍は、この「超弦戦」の提案通りに、
現代戦を進めつつあるようです。

でも、中国は、パンデミックに対する知識が不足していたようで、
基本的な防衛策を注意深く準備設定することを忘れました。
作戦を起動した中国自体が大々的なパンデミックに見舞われたのですから。
今や、コロナは中国の全経済活動に深刻な打撃を与えつつあるようです。
ロシアや中国のような少数者専制国家では、
自国に不利益な情報を改ざん隠蔽することが常道手段です。
そのために、正確な情報は流れてこないのですが、
深刻な、以前に経験したことのない不況が中国を襲い、
中国に進出した日本企業も次第に中国から
生産チェーン、サプライチェーンを中国外の地域に移し始め、
一方では、中国に新たに進出する企業の数も
減少傾向に転じたと言われています。

ニューズウィークの記事によりますと、
中国では、ポルトガルの全人口を上回る大学新卒者が
就職戦線に突入したところ、
若者の失業率は18.4%に達したそうです。
でも、これは公式統計。
まともに真実を暴露すると、
当局のコロナ対策欠如に対する批判に転じかねません。
これを考えると、おそらく現実はさらに悲惨なのでしょう。

もっとも華々しい就職口はハイテク大手でしたが、
当局の締め付けはますます増大するばかりで、
ハイテク大手約10社のほぼすべてが10%も人員削減を余儀なくされ、
「インターネット企業の採用が、
活発化する黄金時代は終わりを迎えた」とされています。
このように一旦負の時代に突入すると、
中国経済の黄金時代は終焉を迎え、
不景気は超高速で増大する危険があると予測されています。
日本からの中国進出企業は、2012年がピークで約1万4400社に及び、
中国への依存度はただならぬ低度に達していたのですが、
このピークの年すでに中国脱出企業もまた1000社に及び、
それ以来、漸増状態なのだそうです。

諸外国の企業の中国脱出を加速させたのが、
今回のコロナパンデミックのようです。
米国アップル社も生産拠点を中国に移していたが、
iPhone、iMac等の生産が停止され、出荷が不能となる事態が起こり、
インド、ベトナム等への移転を真剣に検討中であるとのことです。
この移転が実現すると、
中国はかなりの経済的打撃を受けることになりそうです。

これまで、様々な大帝国が巨大な版図に君臨した歴史があります。
中国は、かなり内向的な国家でした。
自ら対外的な領土奪取の作戦を成功させたことはほとんどなかった。
唯一の例外は、班超により西域進出だったかも知れません。
でも、現代同様、漢の時代も、人跡未踏、不毛の大地に囲まれて、
転々とオアシス都市が点在する程度だったようです。
必然的に、人口もまばらで、
軍事的に対外的進出を企図する国家に育つことは難しいエリア。
中国の場合、むしろ、逆に、北辺の遊牧民族が侵入して、
中原を征服するケースが頻繁に起こっています。
つまり、近現代に新疆、チベット、南西少数民族領地へと、
征服の手を伸ばしたことはありますが、周辺を征服するより、
むしろ周辺の民族に征服されることが多かった国です。

気宇は壮大な民族ですが、
その気宇を現実化して、周辺国家を武力で圧倒したことはない、
それが中国です。
唯一の例外が朝鮮戦争ですが、林彪率いる中共軍は、
雲霞のような大軍の威力で、
一時は釜山を除く全土を制圧したにもかかわらず、
米軍が本腰を入れると、現南北境界線の北緯38度線あたりまで、
押し戻されてしまいます。
軍事的にさほど優秀な民族ではない、そんな感じがします。

現在、習近平は手詰まり状態。
第三期の異例長期政権の樹立に成功し、
従来の慣例を無視して、政権の中枢を自分の子分だけで固める、
独裁政権ですが、このような偏頗な政権はどうやら初めて。
そして、今や、中国の東に向かい、
太平洋上の島国台湾への領土統一戦を企画しているようです。
しかし、この習近平の野望は成功の可能性があるでしょうか?
難しいでしょうね。

先ず、現代国際社会において、
この征服戦を成功させることは至難です。
習近平は、台湾は中国の領土であると主張しています。
でも、中国政府が台湾を征服した事実はありません。
蒋介石は単に中国本土の支配圏を失った後、台湾に寄寓しただけで、
中国政権として台湾を軍事的に征服した訳ではないのです。
確かに、ニクソン政権、米中国交回復の際に、台湾と断交し、
台湾と結んでいた米華相互防衛条約を失効させましたが、
厳然として存立している台湾国家の支配圏を中国に認め、
中国の支配下に移すことにしたわけではありません。
ある種の外交上のトリックを駆使したわけです。

そこで、今、中国習近平政権は一種のディレンマに陥って居ます。
習近平の政権公約の二本柱は、
① 中国を世界経済のトップに祭り上げること。
② 中国の台湾に対する主権を完全に回復すること。
しかし、①の実現は、中国経済の屋台骨がぐらついている今、
夢の又夢となりそうです。
そして、②は、合衆国が、1979年、早くも台湾関係法を策定し、
中国にあからさまに対抗する姿勢は遠慮しつつ、
しかし、実質的には台湾を軍事的に支える立場に回っているようです。
中国の太平洋進出に手をこまねいて座視することは、
合衆国自体の地球規模での覇権維持の土台を崩しかねません。
それゆえに、習近平の台湾侵攻の危険性が増大するにつれて、
アメリカ合衆国政府は、台湾軍にてこ入れする人的援助を拡大しつつあります。
既に、台湾軍を訓練する指導員を送り込んでいます。
その規模も拡大予定だとか...
そして、日本列島周辺海域に米国艦隊が待機しています。
そして、もし中国軍が台湾侵入作戦を開始したら、
米国艦隊は介入するだろうと予測されています。

中国側は、台湾を攻撃するにあたり、
当初は大陸側から直接台湾西岸に上陸作戦を敢行するだろうと、
予測されていたのですが、
現在、中国軍の動静から、
台湾全方位攻撃作戦の企図していることが明らかになっています。
ところが、この中国軍の設定した作戦海域は、
台湾東の沖縄諸島も包含していることが明らかになっています。
と言うことは、中国軍が台湾包囲作戦を開始したら、
中共軍の日本国境侵犯につながることは必至。
つまり、日本も巻き込まれて仕舞うのです。
しかも、もし米軍が台湾攻撃の中国軍に応戦するなら、
米軍機は沖縄基地も含む日本の基地を策源地とするのでしょうから、
中国軍は、米軍に対する反攻作戦を、
日本の基地に対しても敢行するでしょう。
つまり、中国の台湾戦争開戦は、
中国と台湾、アメリカ、日本との戦争の開戦と
ほぼ同時となるかも知れないのです。

ロシアのプーチンは、ウクライナ戦争にあたり、
どんなに不利な状況に陥ろうが、核ミサイル投入には踏み切っていません。
もしロシア軍が戦線に核ミサイルを投入したとすれば、
近隣ヨーロッパ諸国への直接的脅威と見なされて、
NATO軍との全面戦争に拡大する危険があるからです。
お陰で、ロシア軍が通常兵器による戦争に限定したからこそ、
核を持たないウクライナ軍は対等に戦うことができました。

中国が台湾と日米軍事基地に核兵器を投入したとしたら、
なにが起きるでしょう?
中国はこれに引き続き、
ありったけの空挺部隊の落下傘降下作戦を敢行するでしょう。
台湾内の防御態勢は完全に破壊され、
かなり短時日で中共軍は台湾を征服するかも知れません。
こうなると、アメリカは、国を挙げて対中戦争に踏み切るでしょうか?
そのときの世論次第でしょう。

日本はどうか?
日本政府は、外交ルートでの抗議、協議を先行させるでしょう。
そして、外交協議が長引く間に、情勢の変化を探り、
台湾征服戦が終われば、中国の巧みな外交に載せられつつ、
うやむやに事態が収拾するのを待つでしょう。
そして、派手に外交作戦をひとしきり続けた末に、
うやむやのまま、中国の台湾占領を黙認する形で一件落着でしょう。
かくして、日本もアメリカも、中国の水面下の作戦の末に、
親中路線に傾いて行くでしょう。

一方、占領下の台湾人は本土に移送され、
分断されて、中国全土の不毛の地に入植させられ、
入れ替えに中国軍とその関連企業が台湾に入って、
全島を不沈戦艦に作り変え、大平洋全体を監視下に置き、
中国は地球上での勢威を一段と高めることでしょう。
そして、中国政府は、今度は遠大なるタイムスパンで、
朝鮮半島と日本列島の国有化作戦を展開していくことでしょう。
そんな未来がはっきりと見えてきます。
どんなに時間が掛かっても良い、
じりじりと世界全体への浸透作戦を展開し、
地球全体に対する覇権をいつか確立する。
これが中国共産党政権の目標なのです。
つまり、地球全体の中共化、
これが中国共産党の浸透作戦の目標なのです。

今、ここで、中国と真っ正面から対決しない限り、
日本と日本人に未来はないのです。
でも、日本政府は、もちろん中共政府の意図は知悉しつつ、
なにごとも事なかれ政策を貫くでしょう。
日本の政治家の根本的な共通姿勢、それは、
事なかれ主義と責任転嫁主義!
国民の事を考えて?
オー、NO!!!
己の保身のためです。
もともと主義主張など皆無なのですから。
おっと、彼らにも主義主張はあるのです。
でも、どんな状況に至っても、
最大の主義主張は自己保身!
これ一筋。
なぜって、主義主張などハナからないのですから!
つまり、日本国民は巨大なクライシスにいつなんどき、
直面するか、予断を許さない時代なのです。

私はそう考えます。
台湾問題は他人事ではないのです。
やれやれ....


# by Sha-Sindbad | 2024-06-10 12:11 | Sp.Anastigmat20/1.5 | Comments(0)

1095 山へ(2023年3月23日SuperAngulon21㎜F3.4の奈良町は)0.001パーセント


ときどき、マホメットと山の話を思い出します。

彼は信徒たちにこう言ったそうです、
「山を呼び寄せてみよう」
もったいぶって、山を呼んだのですが、
あいにく山には山の事情があるらしく、
一向に応じる気配がありません。
すると、マホメットは重々しく言いました、
「ならば、私が山へ行こう」

このお話、要するに、
ただ座して実るのを待っていても、
何事も実現できない。
ということなのでしょう。
というわけで、
私もいつも「マホメットしてみる」ことにしています。

ちょっと話が逸れますが、
ソクラテスは徹底的に考え抜いた人でした。
その思考のプロセスをすべて頭脳に蓄えながら。
対話者の思索の一部始終も完全に記憶していました。
だから、話を進める内に、
対話者は自分の思考をしっかりと心に蓄えることができないまま、
すでに明言した言葉と真っ向から対立する考えを口にしてしまいます。
実は、ソクラテス自身がそう仕向けた気配がないわけではないのですが、
彼はご親切なことに、その度に、
対話者に彼が犯した自己矛盾を指摘してあげました。

ソクラテスが対話した相手は
アテーナイ内外の優れた頭脳の持ち主たちでした。
そんな賢者たちも絶えず思考上ポカをしていたのです。
それでも、誰も不便していなかった。
自身も対話者もどちらもそんな矛盾に気づかず、
気づいても、取り立てて気にはしなかったからです。
現実というものは複雑で、変転極まりないので、
それで誰も不便していないのですから。
私もあなたも、そうでしょう。

でも、ギリギリの線まで突き詰めないと満足できない
稀代の思索家であったソクラテスにはそれが我慢できなかったのです。
状況次第で矛盾する行動が許されても、
深い思弁の世界では、それが許されないからです。
そして、つい他人にもそれを求めてしまう。
別に悪気があるわけじゃありません。
本気で一体となって突き詰めようとしているだけなのでう。
でも、矛盾を指摘された人々は、
増上慢の鼻を折られて、ソクラテスを憎んだようです。
つまり、彼らは自分の愚を悟ることができませんでした。
ただ、ソクラテスに人前で恥をかかされたと考えました。
というのも、ソクラテスが対話を始めると、
どうやら市井の平民たちは日頃威張っている輩が
群がり寄って立ち見の見物としゃれ込んだでしょうから。

ソクラテスの裁判でソクラテスを表立って弁護した人は
どうやら居なかったようです。
無理もありませんね。
どうもアテーナイの一流人たちで、
ソクラテスに手も無くひねられなかった人はいなかったでしょうから。
(プラトンたち弟子は、裁判が始まると、どうしたのでしょう?
なんだか、イエスの裁判のときに、
彼の使徒たちも地下に潜ってしまったように、
姿を潜めてしまったようですね)

現代でも、頭の良い人は容易に腹を割らず、
容易に答えを出さないものです。
事の本質が速断を許さないからです。
いかなる問題であれ、
常に「どんでんがえしの構造」を秘めています。
どんなに単純明快な問題であっても、
ある未知のデータを知らないために、
見事誤答を出してしまう危険が常にあるのです。
そして、そのとき気づかなかった別のデータに気づきさえしたら、
正反対の結論に達したかも知れない?

そこで、マホメットの行動にこれをあてはめてみましょう。
前記のマホメットの言動をどうお感じですか?
こう感じる人も多いでしょうね、
「マホメットって、いい加減な野郎だ、
自分でできもしないことをご託宣して、
間違っても平気の平左じゃないか!」
私は、たしかギボンの「ローマ帝国衰亡史」で、
この話を読みました。
そのとき、私もそう感じました。

でも、そうじゃなかったのではないでしょうか?
そんな見え見えの嘘を吐いて、これを翻して平気、
そんな人間だったら、一つの宗教を起こすことも、
一つの帝国の興隆のうねりを引き起こすことも
できなかったのではないでしょうか?

信徒たちは、マホメットにしっかり追随して、
信じがたいほどに目覚ましい歴史を生み出したのです。
とくに、二人の妻は夫にしっかりと追随し、支えました。
あなたが男性であれ、女性であれ、
これはたいしたことだとお分かりになるでしょう。
「預言者」「神の御使い」だって?
大抵の奥さん、鼻から笑い飛ばしてしまうでしょう。

でも、一族全員が彼に従いました。
つまり、マホメットは大した人物だったのです。
マホメットは信徒たちに、ソクラテスがやったように、
ものごとを速断してはならない。
本質的な解答を生み出すための本質的データを見落としていないか、
常に忘れるな、
もう手立てはない、お終いだ、
などと、たやすくくじけたりするな、
ということを教えたのではないでしょうか?

この設問で言えば、どんな課題でも、
自分から今切り込んでいくか、
それとも、じっと我慢して、解決できる時を待つ、つまり、
解答のための本質的データが出そろうのを待つか、
よーく考えなさい、
安直に答えを出してはならない、
そうマホメットは教えたのではないでしょうか?

ソクラテスが生涯続けた対話で教えようとしていたのも
それだったのでしょう。
そして、私たちが生涯をかけて学ぶべきことも、
このことではないでしょうか?

逆に言えば、どんなことでも、
ただちに正しい答えを出せる人が居るかもしれません。
私は出会ったことがありませんが。
もしそんな人が居るとすれば、
そのような離れわざの鍵となるのは、情報ではないようです。
真実にジャンプできる理性の奥底に隠された一種の天才でしょう。
言い換えれば、真実の正しい形をなぜか知っている。
羨ましいですね。

それができない私たちとすれば、どうすればよいのか?
ひたすらに経験を積み、修羅場の最中での冷静な知恵の展開。
そんな汗と幸運の結晶となる瞬間を自分の心の奥底に蓄える。
いざ、一人の決定権者として決定的な瞬間に直面したとき、
自分の閃きを信頼し、問題解決のための論理を見事展開する!
そんな離れ技に成功することもあれば、しくじることもあるでしょう。
肝心なことは、その体験で人生は終わらないこと。
その瞬間を成功裡に、あるいは不成功裡にくぐり抜けた後の人生で、
上記の体験を生かすことができるかどうか?
こんな成功体験を幾度も反復できるのであれば、
長い人生の中でいつしかなんらかの果実をもぎ取ることになるかも?

さて、写真。

ソニーα7s
スーパーアンギュロン21㎜F3.4
例によって、このレンズらしいダイナミックな写り。
いつもどおり、ファインダーをのぞかず、
液晶画面も観ないで、歩きながら、腰だめで、
つまり、どう写るか、なんのチェックもせずに、
そして、ブログに掲載するときは、トリミングもせず、
オリジナル画面でアップしています。
私が余計なことをしないから、でしょう。
どう撮れようと、私の写真として、
全面的にバックアップしましょう。



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# by Sha-Sindbad | 2024-06-07 01:55 | SuperAngulon21/3.4 | Comments(0)

1094 雨に(2023年3月23日SuperAngulon21㎜F3.4の奈良町はしとどと)濡れ


猫たちに食事をさせ、
続けて、私もパンと紅茶とバナナ入りシリアルの餌を平らげると、
(言葉遣いちょっと変かな?
ひっくり返っているかな?)
奈良町に向かって出発。

ソニーα7s
スーパーアンギュロン21㎜F3.4

私のセカンドベストツールです。
ダイナミックな描写力では、勿論、ベスト。
もともと私自身はダイナミックなファクターは一切持ち合わせない、
平凡人なので、かなり道具が使い手を追い越しているセットです。
写真家なら、レンズに合わせて、ベストな描写性を実現できるように、
撮影コントロールができます。
私は、ノーファインダー、下に伸ばした手元での撮影ですから、
言わば、私は私で、視線でその場の印象を捉え、
レンズはレンズで、かってに構図を自分で決めるという方式。

私のようにレンズの水平垂直を統一する癖が付いていると、
どんな風に撮れるかを予見することができるはず。
だとすると、ノーファインダーもファインダーも別に変わりはない筈、
そうおっしゃる向きもあるかも知れません。
それは大層な買いかぶりと言うものです。
私は、はっきり言って、「なーんにも考えていない!!」
ノーファインダー撮影の名人になろうなんて野心は皆無、絶無。

想像してもご覧なさい。
あなたが歩いている時に、前方からやってきた、
かなり男前の人物(私のこととしましょう!)が
いきなりカメラを持ちあげて、あなたを撮ったとしたら、
どうですか?
間違いなく気付きますね。
そして、「キャッ!!」と歓喜の叫びを上げたり、
「ワリャー、ふざけんな! 勝手に撮るんじゃない!
俺の肖像権をどうしてくれるんや!
プライバシーをどうしてくれるんじゃあ!」
なんて、怒号を発したり、
ということになりそうです。

ついでに、申し上げると、一般人に「肖像権」などありません。
肖像権は、肖像に経済的価値がある人にだけ考えられる経済的権利の保護。
自分から人前に顔をさらしておいて、
「プライバシー!」なんて叫んでも、
法は相手にしてくれません。
自分から人前に姿をさらすことで、
自分のプライバシーを捨てているからです。

カルティエ=ブレッソンも木村伊兵衛も、
被写体の事前事後の承諾など一切得ないで、
傑作をバンバン創造しました。
アラーキーが路上でいきなりあなたを撮影したりしたら、
あなたは、「肖像権侵害!」とか
「プライバシーをどうしてくれるなあ!」なんて叫びませんね。
恍惚となって、
「ありがとうございます!
あのお..、私の写真、どこでいつ公開されるんでしょうか?
よろしかったら、脱いでもよろしんですが......ohoho...」
となるかもしれませんね。

私の場合、写真家ごっこなんか、はるか昔に卒業して、
ただの素人として、写真メモを撮り続けているだけ。
誰も訪問してこない素人ブログに、
半年か一年遅れで掲載したり、しなかったり...

もう忘れましたが、ブログによってはコマーシャル契約をして、
若干の利益を得ている人も居るはずです。
つまり、製品が作品の中に写ることで、販促に役立つ、
そんな人気ブログにはコマーシャルが付けられるようです。
おそらくアクセス数が毎日数千、数万という人気ブログだけでしょう。
私は、ブログを開始してからかなりの年数になりますが、
どこかからコマーシャル契約の提案を受けたことなど、
自慢じゃありませんが、たったの一度もありません。

誰も利用しない片田舎のバス停みたいなものです。
かつて近くの二軒が時折利用してたので、
最寄りのバス停まで数キロもあることに同情した村の
乗り合いバス会社がバス停を付けてくれる、そんなこともあるかも?
でも、運ちゃんから会社に報告。
「これで1年、2キロも回り道して通ってみたけど、
ついに、1回、ご主人が乗ってきて、次のバス停で降りただけ。
これじゃ回り道の経費をまかなうのは無理。
もうよしましょう!」
そんな風でしょう。

せいぜい5人か10人ほどもアクセスすれば、御の字、という、
ローカルブログにコマーシャルを付ける?
完全な無駄金使いですね。
このような事態は、
写真作品を製作するアマチュア写真家には恥ずべき事態でしょう。
たしかに、私も、アマチュア時代、
幾度かアマチュア写真クラブに所属したり、
何度かグループ写真展に参加し、
一度は、写真家お二人と、
大阪、東京で三人展を開いたこともありますが、
開催されているギャラリーの来訪者が私の写真のしげしげと見たり、
私にアプローチしたりしたことは、ほとんど絶無に近かったですね。
グループ展の仲間さえ、私の写真についてコメントした記憶もありません。
ほとんどの場合、ホロゴンの超接近撮影だったせいでしょう。
どこか破天荒、無茶な撮影でしかないので、
コメントしようがなかったというのが真相でしょう。

今や、そんな写真家の社会から外れ、
一人、路傍から路傍へと、ロボグラフィの旅を重ねる日々です。
旅に出ても、一日外出してぶらりと散歩するだけなのですから、
大した旅ではありません。
でも、気楽、太平楽です。
私など、もはやバスの中でもマスクはしませんね。
サザエさんだったか?
取調室で、がんじがらめにお縄を頂戴して、そのうえ、マスク。
取調官、「さあ、吐け! 全部自供して、すっきりするんだ!」
容疑者、マスクの下からモゴモゴ。
「吐けって言っても、マスクまでされて、
どうやって吐くんですかい?」
そんな不条理世界が漫画から飛び出て、現実になっているのでしょう。
さて、いつまで続くのやら.........?




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# by Sha-Sindbad | 2024-06-05 21:50 | SuperAngulon21/3.4 | Comments(0)

1093 穏やかで(2023年12月25日SpeedAnastigmat25㎜F1.5で奈良町をおっとりと)楽しきかな、レンズ生活!



さて、さっさとブログの主題に入りましょう。
つまり、レンズと写真。

オリンパスE-PL8
スピードアナスチグマート25㎜F1.5

久しぶりに小型カメラ、オリンパスE-PL8を使いました。
付けたレンズは、私の大のお気に入りレンズです。
英国のダルメーヤー製。
穏やかで幽玄。

いつも書くことですが、
面白いことに、本レンズとまったく同じ設計で
作られた名レンズがあります。

キノプラズマート25㎜F1.5
このレンズ、同じ設計とは思えないほど、
描写製がキリリと引き締まり、鋭角的です。
硝材が違うのでしょうか?
キノは際だって華麗!
さすがに、ドイツ製!
ところが、本レンズは地味で穏やか!
両者の性格のあまりに対照的なことに驚かされます。
こうなると、英独の国民性が絡んでるんじゃないの?
それとも、製作者の社風、
そんながレンズ表現をがらりと変えるのでしょうか?
などと、まさにお門違いの意味づけを試みてしまいます。
私もこうなると心は二分されるようです。
これだから、レンズは楽しい。

英国製の本レンズ、地味な描写ですが、
空気感、存在感をたっぷり醸し出してくれます。
でも、私が記憶している場所、なんでもない路地が、
ある種、幽玄な香りで包まれます。

現代のデジタルカメラで撮ると、こうは行きません。
完璧なシャープネス、おそらく完璧な色再現なのでしょう。
写真家の皆さんにはこたえられない完璧表現なのでしょう。
この十数年、写真展を覗いたことがほとんどありませんが、
きっと豪壮華麗なる作品を並べて居ることでしょう。
肉眼よりも超々シャープネスで、肉眼よりハイコントラスト!
なぜかギンギンギラギラになります。
普通の会社員がくるりと一回転すると、
S字マークのスーパーマン姿に変身!
そんな劇的な変貌。

でも、写真家には申し訳ありませんが、
私は思わずタジタジと後ずさりさせられてしまいます。
そんな作品から漂ってくるのは、現代技術勝利の雄叫び。
撮影した写真家の生身の人生の香りはどこにも嗅ぎ取れない、
そんな感じがするのです。

でも、現実は私と無関係に前進して行くようです。
写真家にとって、現代は写真パラダイスなのでしょう。
次の一事でそれが分かります。
昔、永平寺を主題に作品集を作った写真家は、
夜の勤行の姿を撮ることに苦心惨憺させられたそうです。
修行僧がどんなに精神統一して居ても、
わずかに身体は動くようです。
銀塩時代の装備では、ほとんど暗黒の修行場を撮ることは至難。
三脚を付けて長時間露出をしようとしても、
5秒、10秒の間に修行僧は僅かに動き、揺れます。
そうすると、ピントが来ない写真になります。
ところが、現代デジタルカメラでは、どんなに暗くても、
粒状性は保証されませんが、とにかく手持ちで撮れます。
つまり、暗黒の中に修行僧が浮かび上がるのです。
(私自身は試したことがないので、
そう聴いたということで、書いているのですが...)

かくして、写真界はどうやら99%、
銀塩カメラからデジタルカメラに移行してしまったようです。
まだ銀塩カメラで仕事をしている写真家が居るのでしょうか?
私は、ここ10年以上、
写真家の世界に対する関心を一切失ってしまい、
写真展はもとより、写真雑誌、写真関係書籍も全然見ません。

写真家吉田正さんの写真教室に一時通いましたが、
かなり多くの生徒さんはデジタル表現、
パソコン上でのデジタル加工に夢中になっておられて、
写真ではなくて、デジタルアート志望でした。
彼らは、私のように、
カメラの設定はなにもかも最低もしくは非設定にして、
ひたすら濃度調整だけで写真をプリントする人間には、
なんの関心もありません。
「凄いことができて、想像を絶するアートが作れるのに、
なんの細工しないって、あんた、能なしじゃないの?」
というわけです。

つまり、現実は厳しい。
お互いに写真談義を交わす共通の場が無くなってしまった、
と言うような事情では、万事休す。
私は一人、自分のロボグラフィを楽しむ、
まさしく孤独の境地に浸る日々と成ってしまいました。
でも、良いでしょう。
孤独は原則的に寂しい境地です。
でも、私はけっして寂しくありません。
自分と対話し、
更に、自分のホームベースの土地と、
古代レンズたちで対話できるのですから。

今回のレンズ、
スピードアナスチグマート25㎜F1.5に戻りますと、
このレンズはあくまでもソフト。
絞り込んでも、画面全体にほんのりと朧げなフレアー。
しかも、どこか香り豊かに画像をほのぼのと包む感じ感じ。
おっとりとした感触がほんのりと立ち上ってくる、
そんな印象が常に画像にまとわりつくようです。

人によっては、どんなことにも二値的に思考する人がいます。
私も若い頃はそうでしたので、彼らを責めるつもりは皆無。
人間は誰しも、自らにふさわしい良き人生を生きたいでしょう。
ある人は、どんなことにも「イエスかノーか?」と、
厳しく問いを切り詰める生き方をするでしょう。
別のある人は、どんなことにでも、
「まあまあでんなー」とおっとり構えるかも知れません。
今回のスピードアナスチグマートは、
どんな光景にもこのような大らかな反応を見せるようです。
たしか英国製です。
やっぱり構えが穏やかだなあ、と、
ほっこりとした気分を味わえます。
厳しく道を極めたレンズは最高かも?
でも、穏やかに田園の細道をたどるレンズも、
人生に言い知れぬ豊かな味わいを添えてくれる!
そう言ってもよいのでは?
結局、レンズ道って、「あれかこれか?」ではなく、
「あれもこれもそれぞれに........」
そんなゆとりもまた大切なんじゃないでしょうか?

結局、至福に至る道は幾筋もあるのでは........?

これだから、レンズたちとの生活は楽し!!!




1093 穏やかで(2023年12月25日SpeedAnastigmat25㎜F1.5で奈良町をおっとりと)楽しきかな、レンズ生活!_b0226423_18542950.jpg
1093 穏やかで(2023年12月25日SpeedAnastigmat25㎜F1.5で奈良町をおっとりと)楽しきかな、レンズ生活!_b0226423_18542288.jpg
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# by Sha-Sindbad | 2024-06-03 18:55 | Sp.Anastigmat25/1.5 | Comments(0)

1092 爛漫(2024年5月9日奈良東大寺道でホロゴン15㎜F8がおおらかに歌い)超接近


まさに春です。
4月末、5月初めの期間、
かなり肌寒い日、薄暗い曇り日が続いてきました。
本日は春爛漫の日よりです。
最愛のレンズを持ち出しました。

ソニーα7s
ホロゴン15㎜F8UW

超広角レンズの撮影のポイントとして、よく言われることは、

超接近して撮れ!

このポイントは、私もホロゴン写真で思い知らされてきたことです。
要するに、ちょっと離れただけで、アウト!
被写体ははるか向こうに遠ざかってしまって、写真にはなりません。
何も、写真作品にならないと言っているのでは無く、
ただ単にロボグラフィにだってならない、という意味ですが。。。

昔から、刺客の極意として言われてきた言葉。
「ターゲットの腹にぶつかって、刺せ!」
武器に用いた短刀やナイフでターゲットを刺しながら、
その柄に自分の体をぶつけたそうです。
短刀は柄まで突き通ってしまう。
もう助かりませんね。
怖いですね。
でも、写真も、一種の狙撃です。
鉄砲で狙撃する場合と同様、
ターゲットに近ければ近いほど、成功率が高まるわけです。

ホロゴンは写角が110度ほどあります。
そして、被写界深度が極めて深くて、文字通りパンフォーカス。
と言うことは、どんなに近寄っても撮れる、ということ。
私もかなり多数の国でホロゴンを使いました。
観光はほとんどせず、いつも町を歩きました。
貧民街がホロゴンにとって最上の猟場でした。

ほとんどの場合、すれ違い様の一瞬が撮影ポイントでした。
ときには、道を進む男性、女性、子供のバックにまわって、
後頭部にほとんどホロゴンが当たるほど近くで撮りました。
これに気づいて振り向いた人は居ませんでした。

ブラッサイの「The Secret Paris」
パリの夜の町、娼婦達の世界を超接近で撮って居ます。
客達と絡み合っていたり、一緒にバーで呑んでいたり、と、
客と娼婦の仲睦まじい交歓風景もたっぷり撮っています。
1920年代、30年代の作品です。
夜を撮るので、多くの場合、フラッシュも使っています。

もちろん、ほとんどの場合、
夜の男女たち、バー、クラブの責任者たちの了解をとって、
蛇腹カメラを持ち込んでの撮影です。
娼婦とのベッドシーンまで沢山撮影されています。
紳士とおぼしき男達がほとんど裸の女性たちと混じり合って、
談笑しているシーンもかなりあります。

でも、彼らが撮ることを許したという事実が実に目覚ましい。
下町のあらゆる階層の人々が写真家に心を開いた、
という目覚ましい出来事を記録しているのです。
いわゆる上流の紳士がこんなところで遊んだかどうか知りませんが、
ブラッサイが大きなカメラ(フラッシュ付き)を抱えてやってきて、
「撮らせてもらってもいいですか?」なんて尋ねても、
「うん」とは言わなかった筈。
妻や子には見せられない濡れ場なのですから。
言い換えれば、写真家がカメラを構えて肉薄してくることを
気にしなかった人たちの記録。

そんな夜の社会どころか、
バーやキャバレーも訪れたことが一切ない、私ですから、
珍しさ一杯ですが、
私がまず感じるのは、この人達、男も女も皆さん、
寂しい人生を送っていたんだろうなあ、と言うことです。

趣味?
そんなの無いね。
まあ、強いて言えば、夜の町に遊ぶこと、
これかな?

一枚、とんでもない写真があります。
ゴブラン織りのようなぶ厚い織りものが窓カーテンの部屋です。
つまり、寝室です。
ことは済んで、客の紳士は右端でワイシャツとズボンを着けて、
どうやら財布の金を数えているようです。
左すぐ側に、障壁も無しに、洗面器と腰掛けのトイレがあって、
お相手のご婦人がお尻を出して、窓側に向いて座っています。
なにやら清浄作業をしているらしい。
おそらく撮影者のブラッサイのいるあたりに、
お二人が使ったベッドもあるのでしょう。
なにもかも剥き出し。
心を寒々とさせる光景です。
ブラッサイがこんな光景を撮ることができた!
登場人物たちが許した!
この事実がこの写真家の人間性、人柄を物語っています。

世界の人口は80億に達したそうです。
そうすると、80億の人生があるのです。
このあたりがピークではないか、と言う人が居ます。
出生率は20世紀の後半から漸減し続けているようです。
どの国でも「一人っ子」時代が来ているようです。
父母二人で一人しか生まないなら、人口は減る一方、
というのは当たり前です。

私の子供の頃は、各家族3人から5人が普通でした。
私も5人姉弟の一人でした。
太平洋戦争で極端に減った日本人口を回復し、
この人的資源も加わって、
経済を世界トップクラスにどし上げました。
これからはどうでしょうか?

かなり昔ですが、奈良市写真美術館で開催された写真展は、
池本喜巳の「記憶のとびら」を思い出しました。
私の少年時代を思い出させる懐かしい下町風景。
昭和中期、第二次世界大戦後の下町のお店とその主人夫婦の集大成。

日本人が当時どんな顔、姿をしていたかが判ります。
要するに、中肉中背、ずんぐりの体形。
顔は幅広、平坦で、目、鼻は小さめ。
要するに、ずんぐりむっくり。
それから、半世紀以上経ちました。
相変わらず、ずんぐりむっくりの中年男性も居ますが、
青年、少年層は白面細面痩身が標準と成りつつあります。
電信柱のような体形の長身さえ出現しています。
ネットや、奈良の観光エリアを歩く海外の青少年たちも同様の傾向。
つまり、白面細面痩身が標準。

世界中で、女性政治家が男性政治家を尻目に、
リーダーシップを発揮しつつあります。
つまり、かなり前から始まっていた女性上位時代の色彩が濃厚です。
我が家なんか半世紀前、つまり、結婚してすぐに新時代突入!

やれやれ......

さて、今回のホロゴン写真。
いつも書く通り、
ホロゴンというレンズはかなり使い勝手が悪い。
要するに、画角が広すぎるので、
まわりに余計なものが写りすぎ、
主題をしっかり浮かび上がらせるのが難しい。
私がこのレンズを手に入れた頃、
ホロゴンを使う写真家、アマチュアなんか居ませんでした。
数枚作例を見たことがありますが、
だだっ広い光景をただ撮っただけでした。
そこで、私はホロゴンを使ってどんな写真を撮れるのか?
かなり途方に暮れました。
解決策は司馬遼太郎の「燃えよ剣」でした。
土方歳三が幕軍の武将として函館の五稜郭に入った頃、
東北に停泊した官軍の軍艦を襲撃することになりました。
土方が敵艦に突入したときの剣の使い方を兵士たちに伝授します。
正確な言葉は覚えていませんが、
「刀を伸ばして、切っ先でチャラチャラ切り結ぶな。
敵の懐に飛び込んで、束元で斬れ!」
ホロゴンの撮影法がまさしくこれです。
「撮りたい人、景色にぶつかるほどに肉迫して、撮れ」

長年この撮り方で撮ってきました。
でも、この数年、ただただ、すれ違いぎながら、
通行人を撮るだけ。
撮りたい人、景色にぶつかるほどに肉迫したりしない!
ただすれ違いながら、撮るだけ。
そんな完全自然体に変わっていました。
でも、ぜんぜん肉迫していない!
だから、ホロゴンロボグラフィは、
情景写真じゃなく、ただの行きずりの状景写真に。
でも、これもいいじゃない?
そんな気持ちです。
この歳になって、肉迫なんてガラじゃない。

でも、だからと行って、手当たり次第にブログに並べる?
なんとも素っ気が無さすぎます。
ここはそれ、そんなのでも良いから、
少しは、見栄えのよいのを選択することにしようか?
そんな気持ちになっています。

そんな気持ちになった動機付けは、しかし、
実に即物的ではあります。
私の2つのブログ、あんまり情報量がたまりすぎて、
有料への閾を飛び越えてしまったのです。
たしかに有料は有料だけど、廉価であることは確か。
ここはケチるつもりはないのですが、
あいにく私の持っている唯一のカードが大手のものではないらしく、
使えない!
そして、私はこのデジタル化時代に珍しく、
VISAのような大手のカードを改めて契約する気も起こらない。

そこで、考えつきました。
ブログの容量が限度量を超えたというのなら、
昔の記事の写真や、記事そのものをバンバン削除して、
限度量以下に抑え続けたらいいのじゃないか?

ということで、今、
昔の記事をバンバン消去する作業に勤しんでいます。






1092 爛漫(2024年5月9日奈良東大寺道でホロゴン15㎜F8がおおらかに歌い)超接近_b0226423_01090129.jpg




# by Sha-Sindbad | 2024-05-26 01:09 | Hologon15/8 | Comments(0)