今年の1月14日、僕が藤城嘘君にインタヴューメールを送った日である。
当時、僕にとって全く素性の知れない藤城嘘君だったが
後に、ideaやネットを巡回する上で彼の活躍を知り驚いたものだ。
あれから3ヶ月、カオスラウンジは現在、アートの枠を超えて多くの人々を巻き込み、幾多の論争を起こしている。
まさか、こんなことになるとは思いもしなかった。
いつの間にか巻き込まれ、そこに参加していた気がする。
凄まじいほどの爆発力とスピードを身を持って感じた。
つかさを作っている時の嘘君達の楽しそうな姿、巨大な自分の画像に手を加える梅ラボさんの背中。
ただひたすら紙を繋ぎ続ける一輪社さん。
彼等アーティストは各々がバラバラに動いているにも関わらず、どこか深層の部分で「強いつながり」が存在しているように映った。
その場は、ゆるくも強い「創る」という意思だけを共通語として各々が動いていたのだ。
そんな彼等とは対象的に運営側の黒瀬さん、浅子さん、助田さん、西田さん達は運営者である。
当り前だが本展示の責任の所在は彼等にあるのだし、
世間の期待を裏切るまいと、設営作業に切磋琢磨されており、それは、このような搬入作業の経験のない(建築系の展示とは大きく違って見えた)僕には想像を絶する殺伐とした空気であった。
僕の目には彼等のまぶしい姿が未だに焼き付いている。
わいわいがやがやしている嘘君達に、僕は強い疎外感を感じてしまった。
そして同時に嫉妬している自分がそこにはいた。
同時にこの場(それは東京という地にかもしれない)に取り繕う島はないと思った。
実は搬入参加初日、軽い気持ちで参加した事を後悔していた。
23時頃、一通り搬入が終了し、渋谷のカプセルホテルに向かう道中、僕は本当に様々な事を考えた。
カオスラウンジとは一体何なのか。
つかさが、こなたが、キャラクターが、
アイコンが、タグが。アートとは。つながりとは。なぜそこに参加しようと思ったのか。自分とは。
もちろん、そんな短い時間では答えはみつからなかった。
考えれば考えるほど深い迷宮に迷い込んでいるような気さえした。
次の日オープニングのため少し早い時間、夕方に顔を出したわけだが、
高橋コレクションに、お客さんが沢山いることで軽く目眩がした。
そしてその後、目頭が熱くなった。
そこには得体の知れない「大きな力」が確実に存在し、
400の人々に何かしらのメッセージを訴えていた。
僕の中でようやく「つながった」
あの会場で起きていた事実は、間違いなく「カオス」であったに違いない。
様々なキャラクターのパーツやデータ、クラスタによる意識が錯綜しつつもカタチとして眼前に表れ
全ての作品は大枠でみると纏りがあるようであるが、
歩を進め、距離を縮めると情報が圧縮され新たな一面を知ることとなる。
その遠近のフラクタル性はネットと現実、画面とキャンパス、サブカルとハイカル、自己と他者、スキゾとパラノ、生と死の相互距離感のメタファであるかもしれない。
それは新たな一面ではなく、元から存在していたが気付かなかった「向こう側」。
そこで僕は、エヴァでいうATフィールド(心の壁)突破。それを身を持って感じた。
打ち上げの場でもひたすら作品を生成していた、その光景。
何人も巻き込み居酒屋の御品書を侵食していくそのパワー
そしてシンポジウムでの梅ラボさんの一連の発言。
「キャラクターは死なない。羨ましい。」
後日のだつおさんの一連のツイート
「カオスラウンジ09に参加して人脈が広がって、そこから更にいろいろなイベントに参加して(自然派生的に“クラスタ”が広がっていって)、目や耳にする情報量が膨らんで美術館やギャラリーにたくさん行くようになった。」
そもそも僕にはアートの知識は殆どない。
僕には気の利いた文章を書く能力もない。
ただ彼等のやっている/やろうとしていること、そしてあの場で起こっていたこと、それが今、どんな意味を持ち、これから何を訴えていくのか。
それらを考察していくことは不可避であり、この展覧会の意味/存在を自分なりの言葉や表現で伝えていくのは必然であるのかもしれない。
twitterから始まった、彼らとのコミットメント。
この感想も、僕の感情論であり、今回の東京遠征は自分の弱いところばかりが露呈してしまったが
全て「コミュニケーション」から成るもの。
結局それ以上のものでもそれ以下のものでもない。
そして僕はこれからもそれを渇望しながら行動していくことになるだろう。
ありがとうカオスラウンジ!
大阪から出向いて本当に良かった。
自分なりに「ナニカ」を受け取った2010年の春。
4月12日
歌舞伎町、コマ劇場前のマクドナルドにて
morishita