SANDRA MUJINGA
Choi Goen: Winner of the Frieze Artist Award | Frieze Seoul 2024
(Source: youtube.com)
老百姓の言葉をまた想い出す。
「想うてさえおれば、孫子の代へ代へときっと成る」
体制の思想を丸ごと抱えこみ、厚く大きな鉄鍋を野天にかけ、ゆっくりとこれを煮溶し続けている文盲の、下層農民達の思想がある。そこに宿って繋り拡がる史劇の原野がある。一たび疎外の極にとじこめられた者が、次々に縄抜けの技を秘得してゆくように、状況に対する何食わぬ身構えと、ひそかな優越が、歴史に対する生得的な体験としての弁証法を創り出す。「想うてさえおれば、孫子の代へ代へときっと成る」とほほ笑む時、彼は、人間の全き存在、全き欲求のためしか発言しないというやさしさに、変化しているようにも見える。だから彼の手の内で物語化される何れの権力も、自在に陽を当てられたりかげらされたりするのだろう。
石牟礼道子『西南役伝説』講談社文芸文庫、2018年、p.17
一見、病者・孤独の収容は、行政の本来的機能ないしは公権の本質的機能に見えるが、私は疑わしいと思う。むしろ、病者・孤独を収容することを公的機能と信じて疑わない人々の創出を、行政や公権力は目指しているのではないか。とすれば、慈善事業が「直接的」に行政を補完しているとは言えまい。養護学校義務化に反対したとしても、現に成立している養護学校に対してはしなやかな対応が求められることと同断である。
小泉義之「中世身分制研究の批判的検討」『哲学原理主義』青土社、2022年、p.183
陳敬輝
Rhea Dillon: From Landing to Arrival | Frieze London 2022
(Source: youtube.com)
一行の文章を書くこと、それが既にカオスに対する抵抗である。混沌は混沌のままでは、その裡に投げ出されている物体の一片をも表現できない。カオスからコスモスに到達せんとする人類の願望に、小説家は参加している。
武田泰淳「作家と作品」(1951年初出)『評論集 滅亡について 他三十篇』岩波文庫、1992年、p.218
たとえば、これは本当に知っておいていただきたいのだが、これまで私が学んだわずかなことは、私の知らないことに比べれば、ほとんど無に等しいが、私は学ぶことができないと絶望しているわけではない。
ルネ・デカルト『方法叙説』小泉義之訳、講談社学術文庫、2022年、p.82
The Difference Between Comic Book And Manga Fight Scenes
(Source: youtube.com)
論理学書の冒頭に「あらゆる人間は死ぬ、ソクラテスは人間である、故にソクラテスは死ぬ」をシロギスムス〔三段論法〕の範例として差し出すとき、すなわち、論理学者が初学者にたいして論理学の力能を誇るとき、かれらは密かに誤読されることを常に期待しているのではないのか。論理学が形式的な記号の遊戯であることを恥じるからこそ、あるいは、形式的整合性が実質的真理に手が届かないことを恥じるからこそ、初学者の誤読を当てにして論理学書を書き始めるのではないのか。
小泉義之『兵士デカルト:戦いから祈りへ』勁草書房、1995年、p.128
ディーン・ボーエン
何だか、彼には精確な理論によって動いたり、規律を守って行くのが窮屈に思われたのだ。もっと、お祭り騒ぎのように反抗したかったのだ。
武田麟太郎「反逆の呂律」『武田麟太郎作品選 日本三文オペラ』講談社文芸文庫、2000年、p.64
On This Spot – Theresa Hak Kyung Cha
(Source: youtube.com)