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2017年6月 1日 (木)

このことを国民が知ることこそが民衆政治(democrasy)が機能するための条件なのです

ーー以下「宮崎正弘ブログ、読者の声」より抜粋編集qazx

世界大戦Ⅱ中、ユダヤ人らが、リトアニアから日本に向かい上海(米国)へと向かった。

リトアニアから日本に行くためには、当時のソ連領を通過する必要があった。

産経新聞が、12月22日付けで掲載した、「「命のビザ」にソ連の影 杉原千畝の活動を経済利益・軍事情報狙い“容認”か 露の歴史研究で判明 」によると、

「ソ連領を通過するユダヤ人から経済的利益や軍事情報を得ようというソ連側の狙いがあったことが、ロシアの歴史研究家らの共同研究で分かった」

つまりこれが、「ソ連がなぜ大量のユダヤ人難民の通過を容認したか」という疑問の答えであったということです。

ーー

しかし、これは問題の全貌をとらえていません。

当時パレスチナにユダヤ人の国家を建設しようとしたイスラエル暫定政府がありました。

そのイスラエル暫定政府から日本政府にリトアニアに居たユダヤ人の救済を機密作戦(confidential operation)として実行してほしいと要請してきていた。

恐らく日露戦争以来のユダヤ人脈を利用しての要請であったものと推測できます。

ーー

この要請を五相(首相、外務大臣、大蔵大臣、陸軍大臣、海軍大臣)会議で協議し、東条英機陸軍大臣が人道上受け入れるべきだと強く主張し実行の運びとなった。

杉原千畝氏は有名になりましたが、当時ソ連駐在の日本人外交官にも以下の極秘の指令が下されました。

「ユダヤ人らがリトアニアから列車でソ連領を通って沿海州沿岸まで移動する際に無害通行を保証するようにソ連政府と交渉し、シベリア鉄道の沿線での彼らの安全を監視せよ」

彼らソビエト駐在の外交官たちはそれを守秘した、つまり指令が極秘にされていることを守りました。

杉原千畝氏にも外務省上層部から直接指令が下り、機密作戦であったため当人が独自の判断で行ったことのように誤伝された。

ーー

終戦後の占領期間中、外務省が廃止されました。

彼らソビエト駐在の外交官たちの多くが失職し、NHKの外信部でソ連のラジオを聴いて記者らにソ連情報を提供していたのです。

どんなに良い情報を発掘しても、記者の手柄になった。

そんな中で守秘義務を果し、杉原千畝氏が世界中で称賛される中、沈黙を守りました。

ーー

杉原千畝氏は、悪く行っても命の危険がない(ソ連のスパイか名前が知られていたため)状況でした。

ところが彼以外の外交官らはソ連官憲に日本の工作員(スパイ)として殺される危険があった。

そんな中彼らは、シベリア鉄道でのユダヤ人らの安全通行確保のため命を懸けて働きました。

国家というものは非情なものです。

機密作戦であったため、以後国家は一切関与していない。

ーー

イスラエル政府は、「日本政府は、政府の方針に反してビザを発給した杉原千畝氏を解雇した」などという嘘を宣伝しています。

恐らくこの機密作戦を隠すためでありましょう。

所詮国家とはこういうものです。

国家が国家目的のためには一部の国民(民衆)にとっては怪獣(リバイアサン)になる。

このことを国民が知ることこそが民衆政治(democrasy)が機能するための条件なのです。(ST生、千葉)

ーー抜粋ここまで

この意見に対し以下の様な情報が寄せられている。

ーー以下「宮崎正弘ブログ、読者の声」より抜粋編集qazx

以下関連図書から拾ったものです。
ご参考まで。

要点は、
(1)杉原はビザを乱発していない。
(2)殉教者ではなく昇進している。
(3)ユダヤ人を助けた他の日本軍人は隠蔽されている。
(4)杉原には知られざる過去がある。

1.史実:ユダヤ人の上海移住は2回あり、杉原は1940年の2回目です。なお満洲には1917のソ連革命を逃れ五千人のユダヤ人が住んでいた。

2.1回目:ナチスの迫害でユダヤ系ドイツ人が、ベルリン、ウィーンなどの日本領事館からビザをもらい、シベリヤ鉄道で東に向かった。しかし1938.3.8満ソ国境のオトポル駅でソ連が強制下車させたので、満州国に嘆願し、通過許可をもらい南下。日本経由で上海へ。この時樋口少将、安江大佐、が通過許可を申請、東條英機参謀長が許可。上海では海軍の犬塚大佐が指揮する犬塚機関がユダヤ系独人を保護。教会、学校などを建設。独の総領事はユダヤ人放任、関係せず。1939.9ユダヤ人側の費用限界で受け入れが止まった。この時上海のユダヤ人人口1.9万人。

3.日本政府の方針と理由:日本政府はユダヤ人の保護を決定。理由は米国政府内ユダヤ系高官に影響を与え、敵対政策を緩和することだった。ルーズベルト政権のモーゲンソー財務長官、労働長官は100%ユダヤ人。ハル長官の母親妻はユダヤ人。その他幹部250名以上がユダヤ系。しかし彼等は米国内の反ユダヤ感情を恐れ保身のためにユダヤ人を保護しなかった。このため1939年のセントルイス号事件の悲劇が起きた。独脱出ユダヤ人の上陸をルーズベルトが拒否したので、欧州に送り返されナチスに殺されたのである。

4.1939.9独ソによるポーランド分割で、ポーランドからリトアニアに追放されたユダヤ教神学生が脱出。上海のユダヤ人協会は、1940.7.26犬塚大佐にビザ再発行を嘆願。日本外務省が許可。神学生らが杉原の日本領事館に殺到。杉原は驚いて本省に訓令を求め、本省が許可。そこで杉原は1940.7.29から領事館閉鎖までの一ヶ月間に1500通のビザを発行。1941.3、世界ユダヤ協会は、樋口、安江、犬養を表彰。樋口、安江はゴールデンブック(恩人名鑑)に記載、犬塚には謝辞入りの銀製シガレットケースを贈呈。これは現在イスラエルの博物館が所蔵。(杉原は表彰されず)

5.1944年杉原は昇進、勲五等を叙勲。

6.終戦時のユダヤ人人口2.5万。満洲のユダヤ人が南下したものか。

7.戦後杉原はソ連に逮捕されたが、夫婦とも2年で虐待されずに帰国。安江大佐は大連の収容所で虐待され死亡。特別待遇の謎。

8.外務省がGHQの命令で減員700名。杉原は正規退職。退職金、年金も正規に受領。

9.ユダヤ人の恩返し:GHQ(ユダヤ系高官)が樋口少将のソ連引渡を拒否。1954年ユダヤ人が青山斉場で安江大佐の盛大な葬儀執行。フィリピンでユダヤ系米軍人が犬塚大佐を戦犯裁判から救出。

10. 杉原は湘南に広い屋敷がありながら60-75才までモスクワで3社の商社所長として単身生活。ソ連KGBの保護監視下。

11.杉原の正体:イスラエルの研究者は杉原のあまりに深いソ連との関係から、戦前からのソ連スパイの可能性を示唆。満洲時代の名前はセルゲイ・パブロビッチ。ロシア人妻と11年間生活。離婚して外務省へ。戦前モスクワ日本大使館勤務を命じられたがソ連が拒否。当然か。

12.今でもモスクワで杉原千畝顕彰行事がある。モスクワで一緒に働いた日本人の感想は、口の堅い男で、ユダヤ人のビザの話はしたことはなかったという。(東海子

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