ロシアのプーチンから学ぶ政治体制の歴史の教訓 専制主義と権威主義
1990年代の話だが。
1991年12月25日にソビエット連邦が崩壊した。ちょうど日本は1970・80年代に土地神話にもとずく不動産バブルが膨らんで絶好調になっていった。1987年ごろは、東京都の土地の総額で、米国の土地全部が買えるなどと、TVや雑誌で専門家といわれる面々が言っていた。土地を担保に、例えば、今ではほとんど値が付かないほどの深山・里山の土地に30億円・40億円の根抵当権が付けられた時代だった。だから、世界の銀行ランキングでも、ベスト20に多くの日本の銀行が名を連ねていた。株も上がり続け、1989年(平成元年)12月25日に日経平均3万8915円の史上最高値を記録した。それを頂点に株バブル崩壊し、日々下がっていった。あの頃の日本は、まさに異常だった。
やがて、1991年に米国の次に大国と言われていたソビエット連邦が崩壊した。それまでのソ連は景気が落ち込み、ゴロバチョフが初めて大統領となり、ペレストロイカの掛け声で、資本主義を目指し始めた、その矢先だった。ソ連共産主義の崩壊だった。そのころ、日本でひと際注目を集めたのが、奇才・天才と云われた小室直樹だった。・・・・・・・
小室直樹WIKI
ソ連関連の彼の著作は、1980年『ソビエト帝国の崩壊 瀕死のクマが世界であがく』、1984年『ソビエト帝国の最期 “予定調和説”の恐るべき真実』、1990年『ソビエト帝国の分割 日・米・独の分捕り合戦がはじまる』、1991年『ソビエト帝国の復活 日本が握るロシアの運命』『ロシアの悲劇 資本主義は成立しない』。1980年代になり、なんとなくソ連というのは崩壊するかもと、多くの人々がぼんやり思っていたが、それを著作として公に出すほどの確信と勇気がなかったときだ。その予言が当たってしまった。
オイラは、理工系で、あの不動産バブルのなかで、建築設計業で稼いでいて、小難しい本なぞ読む暇はなかった。ただ小室直樹の存在を知ったのは、たまにTVにゲスト出演をしたり、雑誌の対談でのことだった。その対談で、民主主義と相反する主義とは?の提示があった。当然独裁主義ということになるが、彼曰く、ドイツのヒットラーは当時の民主主義のもとで選挙によって選ばれた指導者で、やがて国民全体がその独裁主義のもとに歓喜でヒットラーを支持したと。なるほどと思った。彼はまさに多彩で、あらゆる学問を踏破し、いわゆる雑学の大家だったと感じる。
それでは、本当の意味で民主主義と対峙するのは?彼のその答えは、専制主義・専制政治だろうと。具体的には王政国家ということに(徹底した宗教国家もあり)。難しく云えば「支配者層と被支配者層とが身分的に分かれていた社会において、身分的支配層が被治者と無関係に営む統治の仕方である」と。特権階級がいて、他は云わば奴隷状態で行われている政治。それに対して独裁政治は、混同される事が多いが、形式上は国民の大多数の支持による民主的手続きにより、身分が同一である独裁者へ権力が付託される。ただし独裁党の党員・幹部などが実質的に身分が異なる支配層・支配階級を成し、専制形態へ近づく場合もあり、反抗する民衆に対しは弾圧なども生じる。
ところで最近は、中国やロシアを指して権威主義という言葉が頻繁に使われるようになってきている。調べてみると
政治学では、独裁政治の中で全体主義より穏健な体制、あるいは非民主主義の総称として独裁・専制・全体主義を含めた用語として、使用されている。権威主義的な政府や統治では、政治権力が1人または複数の指導者に集中しており、その指導者は典型的には選挙されず、排他的で責任を負わない恣意的な権力を持つ。
体制概念としての権威主義の歴史は、1964年のホアン・リンスの提唱から始まった。独裁の概念の中に、アドルフ・ヒトラーやヨシフ・スターリンなどの全体主義と比較して、第二次世界大戦終結後も安定的に続いたスペインのファシスト政権など、より穏健なタイプを権威主義と名付け、全体主義とは以下が異なるとした。
1. 経済的社会的多元主義、さらに限定された政治的多元主義が存在し、反対勢力が存在し得る
2. 体系的で精緻なイデオロギーはないが、或る種の保守的心理的傾向が支配する
3. リーダーの権力は明確に定義されていないけれども、予測可能な一定の範囲内で行使される
4. 政治的動員は弱く、政治的無関心が広く見られる政治学上の用法では、権威主義体制を民主主義体制と全体主義体制の中間とする立場や、権威主義体制は非民主的な体制の総称として独裁・専制・全体主義などを含むとする立場などがある。
だんだん頭が痛くなってきた・・・。結局民主的な選挙で選ばれると称しても、それが完璧な不正選挙が行われ選ばれた場合、「その指導者は典型的には選挙されず、排他的で責任を負わない恣意的な権力を持つ」の分類に入ってしまいますね。不正選挙の疑惑が掛けられている、ベラルーシのルカシェンコ大統領のような。
権威者に同意しないことは大多数の人々から反逆であると看做される。支配者にとって権威主義は権力の正統性がなくとも統治を可能とするため、近代以前の支配者は常に権威主義の確立に努めた。したがって近代以前の政治体制は全て権威主義的支配体制であったといえる。自由や平等といった概念が広まった近代以降の支配者は全国民を相手に統治する必要に迫られ、権力の正統性の根拠なしの統治は困難となったため、権威主義的支配体制の維持は難しくなった。しかし国民主権を基礎にしな1.4.の権威主義が現れる場合もあり、その代表格がナチズムとファシズムであるとされる。権威主義は被支配者の思考様式であるから民主制の機構を採用している国においても現れることがある。選挙があった戦前の日本の政治体制も権威主義体制に分類する論者もいる。
現代ではメディア、学者、政治家などにより中華人民共和国の政治体制が権威主義体制と論じられることがある。また、ロシア連邦、イランなどの政治体制も権威主義体制として論じられることもある。
権威を強調する体制は、権威を軸にしたヒエラルキーを形成してエリート主義を持ち、実質的な権力や階級として固定化する場合もあるが、単一権威による支配体制の場合、その権威以外の既存の他権威の権力関係(場合により身分、貧富、人種・民族など)を超越または無効ともするため、大衆や従来の被支配層などの広い支持を得る場合もある。
まさに、現在の中華人民共和国、7人の政治局員であらゆるが決定され、国民とは関係ないところで、トップ(国家主席)が決められている。ソ連崩壊後のロシア連邦も2000年にプーチンが大統領に選出され、当時の憲法の関係で、首相に一時なったが、憲法を改正して、通算22年の間トップの座に居座っている。他には、北朝鮮 、イラン、中東諸国などがある。
今回のウクライナ侵略の張本人プーチンは、もはや世界の先進国から相手にされない。面白いことに、プーチンはパーキンス病だとの噂、これヒットラーは1945年65歳の若さで地下室で自殺したのだが、数年前からパーキンス病になっていて、記録映画に左手が震えている姿が映像に残っている。まさにプーチンとヒットラーをダブらせる情報戦だろう。
ロシアはこれまでの紛争に介入して、小さな戦争で勝利した経験値で、今回のウクライナという広大な領地を持ち、国民は自由民主主義の良さを感受した人口4000万人を相手に侵略という、まったく稚拙な戦争で逃げられなくなっている。ロシア連邦は人口1.4億人だが、今回のプーチンの所業が判明するにつれ、国民経済が世界的圧力で奈落の底に落ちていくことが分かってくれば、国民的なクーデターになっていくだろうし、それを期待する。1989年ルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻が処刑されたように。
今先進国の政治体制は自由民主主義の概念を採用している。さらに「権力は腐敗する、絶対的な権力が絶対的に腐敗する」ということで、1期4年・5年で2期までとトップ権力の期限を定めている。これ以上の長期政権は、専制政治、権威政治を生みやすいという過去の歴史の教訓からだ。
最後にオイラらしい締めで!
禁断の核戦争がこのプーチンのおかげで、身近なものになりつつ現在だね。
プーチンはストレンジラブ博士なのか?
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