裁量から権力は生まれる

 まずは,韓非子の二柄第七*1

明主之所導制其臣者、二柄而已矣。
二柄者刑徳也、何謂刑徳、曰殺戮之謂刑、慶賞之謂徳。
為人臣者、畏誅罰而利慶賞。
故人主、自用其刑徳、則群臣畏其威、而帰其利矣。
故世之姦臣則不然、所悪、則能得之其主、而罪之、所愛、則能得之其主、而賞之。
今人主、非使賞罰之威利出於己也、聴其臣行其賞罰、則一国之人、皆畏其臣而易其君、帰其臣而去其君矣。


名君は臣下を統制するために二本の柄を用いる.その二つの柄とは刑と徳である.刑と徳とはなにか.刑とは罰則であり,徳とは報賞である.臣下は罰を恐れ,報賞を喜ぶ.したがって,人の上に立つものは自ら刑と徳を用い,それによって群臣は権威を恐れ,従うのである.世の姦臣は,(君主から刑罰の権能を盗んで)自分の嫌いな者を罰し,好きな者を賞そうとする.君主が自分自身で刑徳を行使せず,臣下に聞く(その権力を与える)ならば,国中の人はその重臣を恐れ,君主を軽んじるようになるでしょう.


 賞罰の権限を持つものが権力を持ち,それを譲った者は権力を失うというわけ.賞罰に関する裁量権が最も大きな権力の源泉なのです.このような臣下の裁量権を制限する方法としてストレートなのが王の独裁です.しかし,一国の細かな意志決定まで王が直接行うのは困難です.そこで登場するのが法治……ルールに基づく処理です(韓非子の孤憤第十一)*2.


 さて,韓非子を引用して何のお話しをするかと言いますと,しょうこりもなく金融政策のお話しです.Wall Street JournalでのKashyap氏の論考(svnseedsさん訳があるので是非読んでください)にも示されるように,現在,日本銀行の情報リーク,インサイダー疑惑が話題となっています.金融政策の決定はGDP速報に匹敵するビックニュースです.その決定が事前に漏れていることはとんでもない問題であるということはもっと広く知られなければなりません.


 しかし,ここで考えたいのはより基本的な問題……このような問題が発生するのはなぜかという問題です.


 最大の理由は,現在日本の金融政策にはルールが無く,裁量的である事に求められます.もし経済指標に対応した政策ルールが公表され,遵守されているならば,政策決定の予想は(原理的には)誰にでもできる作業となりましょう.このとき,日銀の内部情報を知る/知らないは報道・投資家ともにそれほど大したことではありません.たいしたことのない情報を一所懸命に内部関係者から聞き出すということは誰もしないでしょうし,別に聞き出したところで問題はないのです.
 一方,現在の制度では一刻も早く日本銀行の決定を知った者が,より有利に資産市場のポジション変えることが出来ます.銭金が絡むなら投資家にとっては最重要情報ですし,報道各社にとってはなんとしても「抜きたい」ネタとなるのです.
 日本銀行が強い裁量権を持ち,さらにそのリークに関して,リークすると言う報賞/その手の情報ルートから外すという罰を持つのですから日本銀行の報道・投資家への影響力はきわめて大きくなるでしょう.今回の政策決定会合の情報リークがマスコミで問題視されていない理由……さらにはなぜ日本銀行は拘束力のあるルール化政策に否定的なのかについてもこういった視点から考察する必要があるかもしれません.

*1:以下漢文の引用はhttp://homepage2.nifty.com/zaco/text/textkan.htmlより.

*2:韓非の手法は貴族・豪族の力の強い母国では受け入れられませんでした,韓は昭侯・申不害によって法治主義国家の先鞭をつけた国ですが,韓非の時代にはそうではなくなっていたようです