ビビりなエンジニアが大企業を辞めて起業した話

この記事は

Supership株式会社 Advent Calendar 2016 - Qiita

の1日目の記事になります。遅くなりました。

Supership CTO室室長 @yamaz です。

ビビりなエンジニアが大企業を辞めて起業した話を書きます。

 

スケールアウトを立ち上げる前、私はヤフージャパンに務めていた。

当時私は結構な給与をもらっており、かつそこそこの立場におり、かつ仕事も面白く、普通なら辞めないような立場だった。

 

だけど思うところがあり、会社を辞めその後会社を作ることになった。今回はそのあたりの話をしようと思う。今から10年ほど前の話だ。

 

きっかけ

きっかけは上司からの命令だった。

「Adsense作って。2人で」

なんとなくそれっぽいものを作ったものの、エンジニアとしての自分に疑問を持つ結果となった。

AdSenseのすばらしさとのギャップ

AdSenseはすごいプロダクトだ。「各URLでそのページの情報に即した広告を出す」と簡単に言うけれど、インターネット全ページのメタ情報を持ち、それに沿った広告案件を選択するというのは、Googleの設備があって初めて成立する話だ。

 

実装を想像すればするほどすごいプロダクトで、「今後はこれ相当を作れる感じじゃないとダメなの?」と絶望的な気持ちになった。

ヤフーテクノロジーのすばらしさとのギャップ

当時ヤフージャパンはアメリカのYahoo! Incからソフトウェアを供給してもらい、それを日本向けに改造してビジネスを行っていた。Yahoo! Incから提供されるソフトウェアはWorld Wideで十分に鍛えられたソフトウェアで、市場的に2,3年遅れてる日本に投入するだけでまさに未来からやってきた謎兵器のように機能し、少なくとも技術的には苦労という苦労をすることなく市場を席巻できた。いわゆる「タイムマシン経営」と言うやつだ。

 

ただ「市場を席巻できた」といいつつも、実際はヤフーテクノロジーに大きく下駄を履かせてもらった上でビジネスをしていたので、自分の実力がどの程度なのかよくわかってなかったという問題があった。

2006年当時日本で一番HTTPアクセスをさばいていた企業は実はヤフージャパンではなく、おそらくガラケー版「怪盗ロワイヤル」を提供していたDeNAだったと思う。彼らはYahoo! Incのような外部に頼ることなく、0から超トラフィックをさばく体制を構築してわけで、彼らと比較して「あれ?自分ってヤフーテクノロジーに大きく下駄を履かせてもらってるだけで、全然大したことないんじゃね?」と、これまた自分の実力に疑問を持つことになった。

(2016/12/6 注  怪盗ロワイヤルは2009年10月のリリースなので、時系列的な勘違いがあるようです。DeNAの中の人に怪盗ロワイヤル込みの全体数値を聞いて「あ、ヤフー超えてるな」と思ったのは確かです)

早くえらくなりすぎてしまった問題

 私がいわゆるWeb業界に入ったのは1998年で当時25歳、辞めたのは2006年で8年ほどやった勘定になる。その時25人位のチームメンバーを仕切っててやってることはほとんどExcelとパワポの仕事だった。

その時私が考えたのは

 

「今まで8年やって34歳。65まで働くとしてこのあと31年。今までと同じような業界の伸びがあとざっと4セットあるとして、パワポExcel仕事なんかしていて人生もつのか?」

 

ということだった。1998年当時はアメリカから出来上がったプログラムを持ってきて、perl4でcgi-lite.pl(古い!)でちょっと気の利いたCGIプログラムを書くだけで神扱いされたのが、8年経った時点でAdSenseっぽいものを作れてもなんだか役に立たない状態になっていた。この急激な伸びがあと4セットもあるのにExcelをいじる仕事をするだけで会社人生がまっとうできるとは到底思えなかった。

 

私はもともとそこまで凄腕のエンジニアというわけではなく単なるビビリのエンジニアで、当時の普通のメーカーに就職し、退職金をもらって定年退職できればいいやと思っていたんだけど、この業界のこのスピード感と自分の実力を鑑みるに、「こんな状況じゃ、普通の定年退職すらやばいのでは!?」と怖くなって退職することにした。

退職と起業

勢い良く退職したはいいものの退職後なにかプランがあったわけではなく、

プラプラしながらいろんな勉強をしていた。そんなときにとある企業の社長から

 

「いいのできたら採用してあげるから広告システム作ってよ」

 

と言われて本気印の広告システムを0から作ることにした。当時特に目的がなかった私にとって、この提案は願ったり叶ったりで、

 

「超本気でシステムを作ったら仮に採用されなくても、できあがったプロダクトを名刺代わりに求職活動すれば、どっかの会社が拾ってくれるだろう」

 

と考え、半年ほど部屋にこもりっきりでコードを書き続けた。

残念ながら最初に声をかけて貰った企業さんには採用されなかったが、

別の企業さんに採用され、それがスケールアウトの起業のきっかけになった。

 

その後いろんな仲間との出会いやラッキーがあり、買収、合併などを経て今も順調に業績を伸ばしているが、この経験を通じてヤフーテクノロジーに履かせてもらっていた下駄に近いものを0から構築することができ、今後も闘っていく自信を得ることができた。

最後に

本ブログは「最速配信研究会」などという偉そうな名前だけど、 なんだか普通のビビりな1エンジニアがみなさんと同様に悩みながらもエンジニア人生を全うすべく模索している記録でもあります。

 

私は今44歳で大抵のWebエンジニアのみなさんよりも少しだけ年配だと思います。

年配としていろいろ見てきていて多少偉そうなことを言えるとするなら

 

「エンジニアとして全うしたいならおそらくは手を動かし続けられる環境に居続ける必要がありそう」

ということです。

あなたがちょっとばかりやり手の35歳技術マネージャーだったとしましょう。25年前~現在以上の業界進化がこれから定年までの25年間で起きるとして、全く手を動かさない仕事をしていて逃げ切る自信はありますか?私はその賭に勝つ自信が全くなかったので、会社を辞めて起業をしました。

— 最速配信研究会(スケールアウト山崎大輔) (@yamaz) 2012年2月28日

弊社はエンジニアがエンジニアとして全うできる環境を作るべく日々努力してますので、興味があるかたは是非。

 

採用情報 | Supership Recruit

 

(おしまい)

 

P.S 起業は本当に大変だったので、手を動かし続けられる環境を作る目的で起業するのは全くおすすめしませんw。が、自分とは全く関係ない海の向こうの話というわけでもありません。このあたりの話もニーズがあるようだったら書きます。

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