高橋是賢とは? わかりやすく解説

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高橋是賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/14 12:58 UTC 版)

高橋是賢
たかはし これかた
生年月日 1877年3月14日
出生地 日本 東京府
(現・東京都
没年月日 (1949-03-17) 1949年3月17日(72歳没)
出身校 ブリュッセル大学政経科卒業
所属政党 研究会
配偶者 高橋愛子
子女 次男・高橋豊二
親族 父・高橋是清(内閣総理大臣)
義兄・黒木三次(貴族院議員)
義弟・黒田清(貴族院議員)
姪婿・伊藤博精(貴族院議員)

在任期間 1932年7月10日 - 1947年5月2日
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高橋 是賢(たかはし これかた、1877年明治10年)3月14日[1] - 1949年昭和24年)3月17日[1])は、日本の実業家政治家華族貴族院子爵議員

経歴

東京府出身。政治家・高橋是清の長男として生まれる[1][2]学習院高等科を修了。ベルギーに留学しブリュッセル大学政経科を卒業する[2][3]。父・是清が衆議院議員選挙への出馬のため(有爵者には被選挙権がないので)戸主隠居する形をとったのに伴い、1924年(大正13年)2月15日、家督を相続し子爵を襲爵した[1][4]

1932年(昭和7年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[5]研究会に属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[3]

また、横浜正金銀行ロンドン支店詰行員、農商務大臣官房事務嘱託及び日本大博覧会事務嘱託、 日本酸素社長、日本理化工業社長、日本精工社長、大和醸造社長、東京火災保険監査役、中央賃金委員会委員、復興金融金庫設立委員などを務めた[2][3]。墓所は多磨霊園(9-1-1)。

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成』下巻、25頁。
  2. ^ a b c 『人事興信録』第14版 下、タ136頁。
  3. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』47頁。
  4. ^ 『官報』第3443号、大正13年2月18日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、40頁。

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。


日本の爵位
先代
高橋是清
子爵
高橋(是清)家第2代
1924年 - 1947年
次代
華族制度廃止



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