普代村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/13 08:18 UTC 版)
地理
岩手県北東部に位置する村であり、三陸海岸を有し太平洋に面している。海岸部は比高100mを越える断崖絶壁がほとんどであり、砂浜などは少ない。地域内での最も大きな河川は普代川およびその支流の茂市川であり、村を横断し普代浜にて海に注いでいる。平野部は極少なく、西から東方向へと流れる河川が狭い渓谷を形作っており、河川沿いに僅かに見られるのみである。地域内には海岸段丘の発達が見られ、丘陵上は平坦地が広がっている部分もある。
気候
要素 | 観測値 | 観測年月日 |
---|---|---|
最高気温 | 37.7℃ | 1978年(昭和53年)8月3日 |
最低気温 | -20.4℃ | 1978年(昭和53年)2月15日 |
普代の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 16.6 (61.9) |
21.4 (70.5) |
23.9 (75) |
32.2 (90) |
33.1 (91.6) |
34.6 (94.3) |
35.9 (96.6) |
37.7 (99.9) |
34.9 (94.8) |
31.1 (88) |
26.8 (80.2) |
22.8 (73) |
37.7 (99.9) |
平均最高気温 °C (°F) | 4.3 (39.7) |
4.7 (40.5) |
8.4 (47.1) |
14.2 (57.6) |
18.7 (65.7) |
21.0 (69.8) |
24.6 (76.3) |
26.3 (79.3) |
23.5 (74.3) |
18.6 (65.5) |
13.2 (55.8) |
7.0 (44.6) |
15.4 (59.7) |
日平均気温 °C (°F) | −0.7 (30.7) |
−0.4 (31.3) |
2.8 (37) |
8.1 (46.6) |
12.8 (55) |
16.1 (61) |
20.1 (68.2) |
21.7 (71.1) |
18.5 (65.3) |
12.5 (54.5) |
6.7 (44.1) |
1.6 (34.9) |
10.0 (50) |
平均最低気温 °C (°F) | −5.3 (22.5) |
−5.4 (22.3) |
−2.6 (27.3) |
1.9 (35.4) |
7.3 (45.1) |
11.9 (53.4) |
16.7 (62.1) |
18.1 (64.6) |
14.2 (57.6) |
7.2 (45) |
1.0 (33.8) |
−3.1 (26.4) |
5.2 (41.4) |
最低気温記録 °C (°F) | −17.3 (0.9) |
−20.4 (−4.7) |
−13.7 (7.3) |
−6.9 (19.6) |
−2.5 (27.5) |
0.1 (32.2) |
5.9 (42.6) |
6.9 (44.4) |
4.1 (39.4) |
−3.7 (25.3) |
−7.6 (18.3) |
−13.5 (7.7) |
−20.4 (−4.7) |
降水量 mm (inch) | 66.6 (2.622) |
62.4 (2.457) |
88.5 (3.484) |
86.0 (3.386) |
102.3 (4.028) |
144.2 (5.677) |
167.1 (6.579) |
195.5 (7.697) |
224.1 (8.823) |
170.1 (6.697) |
61.3 (2.413) |
64.8 (2.551) |
1,430.5 (56.319) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 5.1 | 5.9 | 7.7 | 7.9 | 9.8 | 10.3 | 12.9 | 12.6 | 11.5 | 7.9 | 6.0 | 5.0 | 102.1 |
平均月間日照時間 | 158.2 | 157.5 | 185.7 | 196.5 | 198.4 | 167.2 | 141.7 | 155.1 | 139.2 | 151.0 | 151.2 | 147.1 | 1,948.8 |
出典1:平年値(年・月ごとの値) | |||||||||||||
出典2:観測史上1~10位の値(年間を通じての値) |
普代村 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、北閉伊郡普代村を廃し、その区域をもって北閉伊郡普代村を設置する。
- 1896年(明治29年)3月29日[矛盾 ][矛盾 ] - 北閉伊郡、中閉伊郡及び東閉伊郡を廃し、小本村、田野畑村、普代村、岩泉村、有芸村、安家村、小川村、大川村、川井村、門馬村、小国村、宮古町、鍬ヶ崎町、山田町、崎山村、田老村、山口村、千徳村、花輪村、茂市村、刈屋村、磯鶏村、津軽石村、重茂村、豊間根村、大沢村、織笠村及び船越村の区域をもって下閉伊郡を設置する。
- 1961年(昭和36年)5月28日 - 新里村から始まった山火事が普代村へ延焼。普代村立黒崎小学校(後に普代小学校へ統合)の校舎が全焼するなどの被害[1]。
- 1964年(昭和39年) - 村章を制定する[2]。
- 2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災。津波で沿岸部の漁業施設などが壊滅したが、高さ15.5mの普代水門や太田名部防潮堤が決壊せずに津波を大幅に減衰[3]させ、集落への浸水被害を最小限に抑えることができた[4]。
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、152頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 図典 日本の市町村章 p32
- ^ 明治の教訓、15m堤防・水門が村守る 読売新聞 2011年4月3日(オリジナルの2021年8月17日時点におけるアーカイブ)
- ^ 岩手県普代村は浸水被害ゼロ、水門が効果を発揮 日本経済新聞 2011年4月1日(オリジナルの2021年8月17日時点におけるアーカイブ)
固有名詞の分類
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