和三盆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/19 16:12 UTC 版)
歴史
日本では江戸時代に砂糖の存在がすでに知られていたが、サトウキビの栽培地は南西諸島に限られており、造られる砂糖も黒砂糖が一般的であった。
日本の砂糖造りは、徳川吉宗が享保の改革において全国に糖業を奨励したことにより、全国に広まった[1]。
讃岐和三盆
高松藩では、五代藩主松平頼恭の命により、医師池田玄丈が砂糖造りの研究を始めた[2]。その後弟子の
あるとき、向山周慶は、お遍路の途中で病気に罹り、行き倒れになっている人を治療して助けた。この人は薩摩藩奄美大島出身の関良介(せきのりょうすけ)という人で、砂糖造りをしたことがある人だった。
そこで、向山周慶は砂糖造りを教えて欲しいと頼んだところ、関良介は命の恩人の頼みを聞き入れ、藩外へ持ち出し禁止のサトウキビを讃岐地方で育てた。
そしてまず寛政2年(1790年)黒糖を造ることに成功し、寛政11年(1799年)には讃岐の地で初めて白砂糖造りに成功した。この白砂糖が讃岐和三盆の始まりになる。高松藩は向山周慶と彼の推薦した砂糖作りの手練れの者1名を指導者として藩内で砂糖製造を広める方針を取り、その指導を求めるものは5人組で藩に届け出るようにと通達した(指導を行うにあたって教える側が向山周慶ともう1名しかいなかったので効率よく多くの者に教授するために5人組としたと言われている)[3]。その際に伝授を希望する5人の百姓の名前と村名を書いた文書を自分の村の管轄の政所(庄屋)に提出するようにというお触れを出した。この届出に「門外不出を守ります」と誓文を付け加えている例があるが、この誓文は飽くまで形式上のものであり、高松藩の政策は製法を広めるというものであり、門外不出は藩からの指示ではなく教授を願う側(5人組)が請願書を書くに際して自ら使用した言わば挨拶程度のものに過ぎない。つまりは砂糖の製法を高松藩が当初から門外不出としたとする説は明らかな誤りであり、むしろ高松藩ではこの砂糖の製法を藩内に出来るだけ広めて砂糖を藩外輸出品とする目的があった。その証明ともいえる事柄として砂糖の生産農家が高松藩では増え過ぎてしまい、20年後には米の生産が不足すると言う事態となり、慌てた高松藩は以降は砂糖農家になることを禁ずると触れを出している。当初の砂糖製法の伝授を希望する者は5人組で請願書を出すようにという藩からの通達に応じて政所に出したものと思われる文書が三谷製糖に残っている(奉願口上で始まるもの)。この三谷製糖に残っているような文書が藩内の至る村から5人連署で藩に出されたものである[3]。その後、文化5年(1808年)引田相生南野村の糖業家であった新兵衛によって「押船・かい練り法」が編み出され、白砂糖から「三盆白」となった。そして天保11年(1840年)、久米富士太郎なる人物により「セッカイ製法」とよばれる製法が確立され、現在に至る和三盆が完成した。
阿波和三盆
徳島藩では、板野郡引野村の山伏、玉泉(のちの丸山徳弥、1754年頃 - 1827年)が、この地に立ち寄った九州の遍路から甘蔗(サトウキビ)の話を聞き、1776年(安永5年)日向国延岡に渡る。旅の修験者として栽培・貯蔵法を探り、甘蔗を竹杖に隠して持ち帰った。甘蔗は順調に増殖し、玉泉は製糖法探究のため数年後に再度延岡に渡った。帰国後は独力で、甘蔗の栽培法や製糖法の研究に取り組み、1798年(寛政10年)頃には三盆糖の製造に成功したとされるが、それらを示す明確な資料は無い。徳島藩の奨励もあって甘蔗栽培は急速に広がり、阿波を代表する一大産業に発展した。阿波砂糖の最盛期は天保 - 文久年間の約30年間で、最盛期の甘蔗作付け面積 2,500 ha、甘蔗生産量 75,000 t、白下糖生産量 9,487 t、白砂糖 3,450 t と推定されている。
讃岐和三盆は、そのすべてが献上品として高松藩に納められていたため、藩の特産品であるにもかかわらず、地元の人にはその存在すら知られていないという状態が長く続いていた[4]。一方、阿波和三盆は貴重な特産品として諸国へ売りに出され、全国の和菓子や郷土菓子の発展に大いなる貢献を果たした。
脚注
- ^ 主な購買者はほとんどが料理人・和菓子職人・菓子作りを趣味とする人・和三盆糖に強いこだわりがある人、などに限られる。
出典
- ^ “第166回『砂糖(和三盆糖)』”. 食彩の王国. テレビ朝日 (2007年3月3日). 2024年5月12日閲覧。
- ^ a b 山中 1972, p. 125.
- ^ a b 木原 2017, p. [要ページ番号].
- ^ “三谷製糖のこだわり”. wasanbon.com. 2021年3月3日閲覧。
- ^ “お砂糖豆知識[2007年3月]”. 農畜産業振興機構. 2022年3月4日閲覧。
- ^ 山中 1972, p. 127.
- ^ “阿波和三盆糖 服部製糖所”. 2022年3月4日閲覧。
- ^ “和三盆とは”. 三谷製糖. 2020年4月2日閲覧。
- ^ “和三盆の歴史”. さぬき和三宝 ばいこう堂. 2020年4月2日閲覧。
- ^ 日本経済新聞社・日経BP社. “讃岐銘菓 引き立てる和三盆|トラベル|NIKKEI STYLE”. NIKKEI STYLE. 2021年3月3日閲覧。
- ^ “21世紀へ残したい香川 白下糖づくり(津田町)”. 四国新聞ニュースサイト (2000年12月28日). 2021年9月19日閲覧。
- ^ “阿波和三盆糖 名前の由来”. 岡田製糖所. 2020年4月2日閲覧。
和三盆と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 和三盆のページへのリンク