1991年度(黒岩・安藤時代)
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「FNNスーパータイム」の記事における「1991年度(黒岩・安藤時代)」の解説
土日版のアンカーマンを務めた黒岩キャスターが月-金曜版に異動。土日版は『FNNモーニングコール』や『FNN朝駆け第一報!』の司会を務めた小林穂波キャスターが務めた。 1991年4月6日 - 土日版のスポーツコーナーは松井みどりアナウンサーが登板。 1991年7月20日・21日 - 『FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91』が放送され本番組も『FNNスーパータイムスペシャル』として放送。司会は当時『101回目のプロポーズ』に出演していた俳優・タレントの武田鉄矢と『FNN World Uplink』の露木茂が、東京上空からのヘリ中継は『タイム3』の須田哲夫アナウンサーが担当。 1992年3月29日 - 小林穂波・田代尚子・松井みどりが降板。小林は人事異動で外信部デスクとなり、また『週刊フジテレビ批評』のコメンテーターとなる。田代は『FNN World Uplink』のパリ中継の為、パリ支局に異動。松井はスポーツ中継に専念。 1992年3月31日 - 黒岩祐治が降板。『報道2001』の司会となる。
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1991年度
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第50期順位戦において小野自身は前半で2勝3敗と昇級争いから早々と脱落してしまったものの、第10回戦で井上慶太に当期順位戦における唯一の黒星を与え、B級2組への昇級を阻止した。 小野自身も後半で巻き返し、最終的に6勝4敗となった。
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