高安漢人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/29 09:10 UTC 版)
河内国高安郡に起こる古き氏なり。河内国高安郡に居りし、漢人を高安漢人といい、 後に高安を冠して、造連、宿禰ら姓を賜ひしが、高安氏の始まり。 高安漢人は大陸よりの帰化人ながら、先祖が中国の後漢の光武皇帝、孝章皇帝の子孫にあたる渡来氏族。 河内国の一郡にあたる高安郡に飛鳥時代667年(天智天皇6年)に天智天皇が標高488メートル高安山のふもとに倭国最後の防衛線のために高安城を築城し、その豪族は高安氏となり今も受け継がれている。 大関・髙安晃の祖父・高安清の出自であり、晃は末裔である。
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