高千穂家
高千穂家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 09:05 UTC 版)
後伏見天皇の皇子長助法親王の子孫で、17代を代々僧家として僧正の位を継ぎ、18代目の権僧正・通綱(1824-1872、鷹司政通の猶子)は、文久3年攘夷を祈願して萩藩奇兵隊に協力して豊前小倉城の襲撃を計画して捕らえられたが、明治維新に際して宗徒を率いて皇事を勤めたことから、明治元年に僧官を返上し、英彦山神社大宮司に任ぜられ、翌年、高千穗姓を賜り、高千穂教有と名乗った。その子・高千穂有綱が家督を継ぎ、同6年に特旨により華族に列せられた。
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