進歩新党時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 14:09 UTC 版)
民労党と決別した沈は魯会燦燦と共に、進歩新党の結成に主導的役割を果たし、2008年3月の創党大会にて同党の共同代表に就任した。結成直後に行われた第18代総選挙では、京畿道高陽市徳陽区甲選挙区から出馬。選挙ではフィンランド式の教育の推進と、能力ある進歩政治を公約の中心に掲げた。しかし開票の結果、得票率は37%に留まり、ハンナラ党のソンボムギュ候補に6%の差をつけられ、再選に失敗した。 国会議員に再選されなかった沈代表は、進歩新党を改組し、能力があり信用できる進歩を合言葉に、新しい政治の道を目指した。そして2009年3月の第2次党大会では常任代表職を退いて、新たに京畿地域全国委員に選出された。翌2010年1月19日、4月に行われる京畿道知事選挙への出馬を宣言、同月31日の京畿道党候補者選出大会にて進歩新党の道知事選挙候補者に選出された。2月2日に選管へ予備候補登録を行って選挙運動を開始したが、公式選挙運動期間中の5月30日に出馬辞退を宣言、野党統一候補である国民参与党の柳時敏への支持を表明した。知事選挙後、盧代表が辞職したことに伴って10月に実施された党代表選挙には出馬せず、地方区で運営しているマウル(村)学校で地元に密着した活動をしていく方針を明らかにした。
※この「進歩新党時代」の解説は、「沈相奵」の解説の一部です。
「進歩新党時代」を含む「沈相奵」の記事については、「沈相奵」の概要を参照ください。
- 進歩新党時代のページへのリンク