退陣要求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 15:52 UTC 版)
ところが1957年(昭和32年)頃、「病欠者を不当解雇」、組合に対する不当干渉だとして「横暴な隊長、鹿目善輔を追放せよ」と全駐留軍労働組合(全駐労)横須賀支部から退陣を要求されるという事件が発生した。当時500人の隊員が在籍していたが、うち240人が鹿目の禁じていた組合に加入し、基地ゲート前で隊員が制服姿のままストライキを行うという前代未聞の大騒動に発展した。労基署に告発され、さらに地労委にも提訴された鹿目隊長であったが、新聞社の取材に対し「組合の要求には応じられない。断じて自ら身を引くようなことはしない。鹿目善輔が六十数年間、間違ったことは一つもしていない」「我々警備隊はマリーン(海兵隊)に附属している。この組織を乱さんとする者があったら隊長の責任に於て断固たる処置を執らねばならぬ。自分たちは米軍の一部である。SRF(艦船修理廠)やPW(公共事業部)、一般労動者も同じである。そういう自覚が彼等にはない、処分されるのは当然の帰結であり、隊長である自分を不当とするのはおかしい」と断固主張した。当時、鹿目の自宅周辺にも「鹿目、馬鹿目」と書かれた張り紙を沢山貼られたと親族は語っている。 この問題に対し当時の基地司令であるトーレイ大佐は、基地内苦情処理係に対し強制労働を強要されたという問題が出されていなかったことは不思議だとしたうえで、「こちらとしては鹿目隊長を全面的に信頼している」とコメントした。結局、基地司令が動かないことにはどうにもならず、鹿目隊長の処分は一切なかった。
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