近衛大将
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近衛大将(このえ の だいしょう)は、日本の律令官制における令外官の一つ。宮中の警固などを司る左右の近衛府の長官。左近衛府には左近衛大将(さこんえのだいしょう)、右近衛府には右近衛大将(うこんえのだいしょう)が置かれ、それぞれ略して「左大将」「右大将」ともいい、左大将がより高位である。定員は各1名で権官はない。常設武官の最高職で、馬御監の兼任とされた。和訓は「ちかきまもりのつかさのかみ」。日本語における近代軍の階級呼称である大将はこれに由来する。
- ^ 例えば、百人一首における「右大将道綱」。また、寛平御遺誡では当時大納言で大将を兼任していた藤原時平と菅原道真をそれぞれ「左大将藤原朝臣」、「右大将菅原朝臣」と記している。鎌倉時代には源頼朝(権大納言兼右大将)を「右大将家」と呼ぶ。
- ^ 『大鏡』 第三巻 太政大臣兼通 忠義公 四十六段
- ^ 『今鏡』 第二巻 すべらぎの中 十六段 鳥羽の御賀、ふじなみの下 花散る庭の面
- ^ 『平治物語』 第一章 信頼信西不仲のこと
- ^ 元木泰雄 『保元・平治の乱を読みなおす』 NHKブックス、2004年
- ^ 桜井英治 『日本の歴史12 室町人の精神』 講談社学術文庫 ISBN 978-4062689120、304p
- ^ 仁平義孝 「右大将」(『日本中世史事典』 朝倉書店、2008年、ISBN 9784254530155、P65)
- ^ 矢部2010
- ^ 徳川家康は豊臣秀吉の推挙により左近衛大将に任じられたとされるが、一次史料が無く二次資料の伝える任期中の家康は駿府付近に所在していたなど疑問点が多い(矢部2010)。
- ^ 将軍宣下の際に、内大臣・右近衛大将・左馬寮御監・源氏長者および奨学院・淳和院両院別当に任ぜられる慣習であった。
- ^ 和田英松、所功校訂『官職要解』 講談社学術文庫 ISBN 978-4061586215、133p
- ^ 『兼宣公記』
- ^ 道長の右大将任官は『一代要記』による。
- ^ a b 『園太暦』同年11月9日条によるが、翌年2月の記事には二条教基・洞院実世が左右大将として見えている。伝聞による誤認とすべきか。
- ^ 『戊辰日記』『岩倉公実記』などによる。
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