西隈古墳とは? わかりやすく解説

西隈古墳

名称: 西隈古墳
ふりがな にしくまこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 佐賀県
市区町村 佐賀市立町
管理団体
指定年月日 1975.06.26(昭和50.06.26)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S50-5-124西隈古墳.txt: 佐賀平野北部にある装飾古墳である。径約40メートル、高さ約4メートル円墳で、葺石及び埴輪存在認められ横穴式石室が西に向かって開口している。石室内部には阿蘇溶岩製の横口式石棺納められており、の横口のある側には、台形張り出しを2重にし、内外に円文が刻まれの縁にも円文がある。身の横口の左右に区画線の内に円文や鋸歯文彫られている。さらに石室内部および石棺は丹彩されている。この古墳は、北九州分布する装飾古墳のうちでも西方肥前にある重要なのである
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西隈古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/27 21:57 UTC 版)

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座標: 北緯33度19分39秒 東経130度17分36秒 / 北緯33.32750度 東経130.29333度 / 33.32750; 130.29333

西隈古墳石室の入り口。
西隈古墳の石棺。表面には紋様が刻まれている。
石室内部の石積みの壁。

西隈古墳(にしくまこふん)は、佐賀県佐賀市金立町にある円墳。九州北部に分布する装飾古墳の中でも西方の肥前にあり、貴重な存在である。そのため、1975年6月26日に国史跡に指定された。

概要

佐賀平野の北部、脊振山系の南麓にある台地上に所在する。装飾古墳であり、径約40メートル、高さ約4メートル。葺石埴輪の存在が確認され、横穴式石室が西に向かって開口する形となっている。石室内部には、阿蘇山溶岩でできた横口式石棺があり、長さ2m、幅1.1m、高さ1.3m、4枚の板石を組み合わせたものである。棺の横口のある側には、に台形の張り出しを二重にし、内外に円文が刻まれ、蓋の縁にも円文がある。身の横口の左右にも区画線の内に円文や鋸歯文が彫られている。また、石室内部および石棺は丹彩されている[1]

脚注

  1. ^ 国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 2021年1月27日閲覧。(一部改変)



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