藤村哲也とは? わかりやすく解説

藤村哲也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/19 00:18 UTC 版)

藤村 哲也
基本情報
国籍 日本
出身地 兵庫県
生年月日 1947年(77 - 78歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 本田技研鈴鹿

藤村 哲也(ふじむら てつや、1947年 - )は、兵庫県出身の日本の野球選手内野手)、野球指導者。阪神タイガースに在籍した藤村富美男の長男である[1]。叔父に同じく野球選手の藤村隆男、実弟に同じく野球選手の藤村雅美がいる[1]

来歴・人物

育英高等学校では2年生の1964年三塁手として同期のエース鈴木啓示を擁し、夏の甲子園県予選決勝に進出するが、滝川高芝池博明に0-1で完封を喫する。翌1965年春の選抜に出場し、2回戦(初戦)で徳島商の利光高明投手(日本生命)に抑えられ1-3で敗れる[2]。同年夏の県予選決勝では報徳学園のエース・谷村智博と鈴木の投手戦となり、9回裏0-1xでサヨナラ負けを喫し、夏の甲子園出場はならなかった。

1966年法政大学に進学した。東京六大学野球リーグでは在学中に3度の優勝を経験する。大学同期に山中正竹江本孟紀両投手、黒田正宏捕手堀井和人外野手がいた。

卒業後は黒田とともに本田技研に入社し、1970年都市対抗野球に出場した[3]1972年本田技研鈴鹿に移り、同年の都市対抗にチームとして初出場を果たした[3]1974年には第1回社会人野球日本選手権大会にコーチ兼任で出場した。その後は大塚勝秋(久留米商 - 法大)に続く2代目監督となり以降10年務める。1978年都市対抗ではチームをベスト4に導いた。

長男・一仁、次男・賢ともに三重県の海星高等学校で甲子園に出場している。

脚注

  1. ^ a b 慶応高の「清原ジュニア」以前にもいた…センバツに出場した“2世選手”」『デイリー新潮』新潮社、2023年1月24日、1面。2023年10月1日閲覧。
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目





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