緊急搬送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 05:49 UTC 版)
「コンスタンティン・スコロプイシュヌイ」の記事における「緊急搬送」の解説
8月26日、友人の一人から、「近所に日本人が来ている。日本は医療が発達しているから日本に行けば助かるかもしれない」という話を聞き、その日本人男性の元へ行ったが、その日本人はロシア語がわからなかったため、近所の日本語ができる朝鮮系の男性を連れて再び訪れ、救助を求めた。 その日本人は8月27日朝10時に北海道庁国際交流課係長(当時)に「サハリンに大火傷をした子がいる。余命70時間しかない」と電話で助けを求めた。係長はすぐ外務省ソ連課に連絡を取り、外務省はすぐ法務省と協議した結果、コンスタンチン一家を仮上陸で日本へ入国させることで、査証なしで受け入れることを決めた。 北海道は午後1時すぎ、海上保安庁千歳航空基地に救援機の出動を依頼した。 午後2時20分、サハリン州のワレンチン・フョードロフ知事から北海道の横路孝弘知事宛に救援要請書が届く。 北海道庁国際交流課係長は、自身が以前出向していた札幌医科大学附属病院にサハリンへの医師の同行とその後の治療を依頼した。附属病院の医師は、緊急医療の原則として「助かる見込みがなければサハリンに置いてくる。しかし助かる見込みが少しでもあれば連れてくる。」とした上で、これを引き受けた。 ユジノサハリンスク空港のアプローチチャートをたまたま持っていた日本航空から取り寄せ、千歳航空基地でソ連領事館員と綿密な打ち合わせをしたあと、8月28日午前3時45分、操縦士、医師、通訳等、13名の日本人を乗せた海上保安庁千歳航空基地所属 YS11-LA782「おじろ」が、サハリンに向け千歳航空基地を離陸した。 YS-11は濃霧のためサハリン上空を1時間半旋回し、6時43分サハリン到着。そこで医師は火傷をして1週間経っていることをはじめて知った。助かる可能性はわずかしかなかったが、コンスタンチンとサハリン州知事から唯一同行を許された父を乗せ、7時47分にユジノサハリンスク空港を離陸した。 機内ですぐに応急処置、酸素吸入、点滴が行われ、8時55分丘珠空港に着陸、すぐに北海道警察のヘリコプターで医大病院へ搬入、9時10分に医大病院に到着した。
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