第6艦隊
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第6艦隊または第六艦隊
- 第6艦隊 (アメリカ軍) — アメリカ海軍の部隊
- 第六艦隊 (日本海軍) — 日本海軍の部隊
第六艦隊
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「香取 (練習巡洋艦)」の記事における「第六艦隊」の解説
1940年(昭和15年)10月15日、香取艦長は市岡大佐から三戸寿大佐に交代。11月15日、日本海軍は潜水艦戦を実施する第六艦隊を新編(司令長官平田昇中将)。香取は第六艦隊旗艦となる。第六艦隊は先遣部隊と呼称されている。また編制当初、第一潜水戦隊(潜水母艦大鯨ほか)は第六艦隊司令長官直率である。 1941年(昭和16年)1月6日、三戸は第六艦隊参謀長へ転任。香取艦長は大和田昇大佐(当時、装甲巡洋艦磐手艦長)に交替した。1月16日、潜水母艦大鯨と第六艦隊旗艦を臨時に変更。以後、香取は第六艦隊旗艦で在り続けた。5月1日、第一潜水戦隊司令部(司令官は鋤柄玉造少将。旗艦は特設潜水母艦さんとす丸に指定)が新設され、第六艦隊司令部は独立した(旗艦香取)。5月下旬、第六艦隊は第四航空戦隊(空母龍驤、駆逐艦2隻)と行動を共にして南洋諸島に進出、第四艦隊(旗艦鹿島)と共に訓練をおこなった。第六艦隊は六月末に伊勢湾に帰投した。 7月21日、第六艦隊司令長官は清水光美中将(先の練習艦隊司令官)に交代。同時期、真珠湾攻撃を立案・検討していた連合艦隊司令長官山本五十六大将は、清水長官に「真珠湾を空襲する計画がある」と伝達した。真珠湾攻撃前の図上演習(9月下旬〈海軍大学校〉、10月中旬〈戦艦長門〉)には、第六艦隊司令部要員が参加している。 11月10日、第六艦隊と第三潜水戦隊司令官三輪茂義少将は香取(第六艦隊旗艦)でハワイ作戦打ち合わせを行う。翌日、三潜戦は旗艦を大鯨から伊号第八潜水艦に変更、クェゼリン環礁へ進出した。11月12日、香取は呉から横須賀に回航(将旗を一時撤する)。第六艦隊司令部(清水長官、参謀長、先任参謀)は連合艦隊や特別攻撃隊(甲標的部隊)との打ち合わせをおこなった。15日、第六艦隊司令部は横須賀に到着し、香取にて麾下潜水隊(第一潜水部隊、第二潜水部隊)と打ち合わせをおこなった。各潜水隊・潜水艦の出撃を見送ったのち、香取(第六艦隊旗艦)は11月24日午後2時に横須賀を出航。11月28日1700頃、サイパン島東方160浬地点でアメリカ海軍のブルックリン型巡洋艦1隻および輸送船5隻と遭遇した。米巡洋艦は煙幕を展開し、砲口を香取に向ける一幕もあった。12月1日、香取はトラック泊地着。翌日出発し、12月5日クェゼリン到着。そこで太平洋戦争開戦を迎えた。大戦中は主にトラック泊地にあって潜水艦作戦の支援に当たった。なお第六艦隊の貴重な潜水母艦大鯨は空母に改造されるため真珠湾攻撃直前に内地に回航され、第六艦隊から除かれた(昭和17年末、空母龍鳳への改造完了)。
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