禁令の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 00:04 UTC 版)
江戸時代後期になると、日本沿岸にアメリカ・イギリス・ロシアなど西欧諸国の軍船が現れて幕府や諸藩の脅威となる。しかし水軍は当時殆ど戦力として期待できず、対処する方法が無かった。 天保の改革が始まると、老中の真田幸貫に対して佐久間象山が大船建造の禁令撤廃と西洋式水軍力の強化を提言している。水戸藩主・徳川斉昭なども老中首座・阿部正弘に対して禁令の撤廃を求めたりしている。 嘉永6年(1853年)6月にアメリカのマシュー・ペリーが来航(黒船来航)して一気に世情不安が高まると、阿部正弘も幕府水軍(海軍)の創設・強化の必要性を悟り、安政の改革の一環として禁令を撤廃した。これにより幕府をはじめ、薩摩藩や宇和島藩・佐賀藩・水戸藩などの雄藩では西洋式の海軍が創設されていくようになる。 ただし嘉永の禁令撤廃はあくまで軍船を重要視したものであり、商人が西洋商船を所有するのを許されるようになるのは、文久元年(1861年)のことであった。
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