石原照夫とは? わかりやすく解説

石原照夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/30 06:56 UTC 版)

石原 照夫
基本情報
国籍 日本
出身地 千葉県成田市
生年月日 1929年11月28日
没年月日 (2006-03-16) 2006年3月16日(76歳没)
身長
体重
166 cm
66 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手二塁手遊撃手
プロ入り 1956年
初出場 1956年
最終出場 1960年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 東映フライヤーズ (1961 - 1965)

石原 照夫(いしはら てるお、1929年11月28日 - 2006年3月16日)は、千葉県成田市出身のプロ野球選手内野手)。

兄は戦前投手として、東京セネタース翼軍大洋軍大和軍に所属した石原繁三1960年代東映フライヤーズ1970年代ロッテオリオンズの球団代表を務めた石原春夫とは別人。

経歴

旧制成田中学校では、エースとして戦後初の開催となった1946年夏の大会では、球史に残る1回戦最初の試合で京都二中と対戦するが0-1で惜敗[1]

立教大学へ進学し、野手転向。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、リーグ通算86試合出場、338打数101安打、打率.299の成績を残す。

大学卒業後は、社会人野球藤倉電線に入社。1954年都市対抗野球に全藤倉として出場。決勝に進むが八幡製鐵に敗退[2]。この大会では準決勝で本塁打を放つなど活躍した。

1956年東映フライヤーズ入団。開幕直後から遊撃手、二番打者として起用され、シーズン後半には三塁手に回る。同年は規定打席(22位、打率.250)にも達する。その後は三塁手に定着、1957年から3年連続パシフィック・リーグ最多犠打を記録。守備面でも1957年に142守備機会連続無失策で当時の日本記録をマーク。さらに翌1958年には自ら記録を更新する154守備機会連続無失策の日本記録(当時)を達成した。1960年に現役を引退。

引退後は、東映のコーチとなった後に1982年から1年間、ロッテオリオンズ取締役球団代表を務めた。

2006年3月16日、胆管癌のため死去。享年76[3]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1956 東映 138 541 476 48 119 12 4 1 142 21 25 14 31 0 29 0 5 24 8 .250 .300 .298 .598
1957 127 502 458 45 114 10 5 0 134 25 20 5 23 2 17 0 2 17 7 .249 .279 .293 .571
1958 111 410 376 35 86 9 3 0 101 26 6 1 18 0 12 0 4 17 7 .229 .260 .269 .529
1959 110 318 280 28 65 5 2 1 77 16 5 2 22 1 9 0 6 20 5 .232 .271 .275 .546
1960 33 54 49 4 7 1 0 0 8 0 1 0 4 0 0 0 1 3 1 .143 .160 .163 .323
通算:5年 519 1825 1639 160 391 37 14 2 462 88 57 22 98 3 67 0 18 81 28 .239 .276 .282 .558
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 3 (1956年 - 1960年)
  • 63 (1961年 - 1965年)

脚注

  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  3. ^ 2006年に亡くなった主な著名人 スポーツ報知

関連項目

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