知的集団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/29 14:39 UTC 版)
両忘協会という名称は、客体と主体の観念の放擲を行うための組織、を意味する。日本の近代化が始まった明治維新の時代の初期に設立された。この頃禅の修行者であった山岡鉄舟、高橋泥舟その他の有志が、鎌倉円覚寺管長であった蒼龍窟今北洪川を招き、のちに両忘会となる坐禅会を立ち上げた。国の将来を憂え、有為の人材を養成するためである。この企画は洪川のほか、川尻宝岑、中江兆民らを惹きつけた。なお、洪川は会の名誉総裁ではあったが、創設者ではない。仏教と坐禅の研鑽のための知的集団を形成することとなった。会則は以下のようなものであった。会員は、政事と俗事以外のことなら何を論じてもよい。米飯、酒、三鉢の野菜のみの食事とする。正直かつ礼儀正しくあるべし。新参者は、既存の会員の導きを受け、毎月、会員の誓願を堅持すること。
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