白鳥庫吉説(1907年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:36 UTC 版)
中国周辺の諸民族(塞外民族)の歴史研究に大きな業績を挙げた日本の東洋史学者白鳥庫吉は、1905年にポーツマス条約で南樺太が日本領に復帰したことを祝して論文「唐時代の樺太島に就いて」を1907年に発表した。白鳥庫吉は前述した「小/少海」に関する議論を始めて行い、「小/少海」を間宮海峡と考え、流鬼国は樺太にあったと指摘した。しかし、当時はアイヌ民族が13世紀以降になって樺太に居住したという知見が得られていなかったため、白鳥庫吉は流鬼国人を樺太に住まうアイヌ(樺太アイヌ)に比定している。
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