燕然都護府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/05 17:27 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動燕然都護府(えんぜんとごふ、拼音:Yànrándōuhùfŭ)は、中国の唐代に外モンゴルに置かれた軍事行政機関。安北都護府の前身。
沿革
貞観21年(647年)、燕然都護府を鬱督軍山[1]に設置。鉄勒諸部が唐に帰順したため、その地を分けて13の州府を置いた。
龍朔3年(663年)2月、燕然都護府を改めて瀚海都護府とする[2]。
府州
太宗は鉄勒諸部に6府7州を置き、府には都督を、州には刺史を置き、それぞれに長史と司馬以下の官を置いた。
都督府
- 瀚海都督府(迴紇部/回紇部)
- 燕然都督府(多覧葛部)
- 金微都督府(僕骨部)
- 幽陵都督府(抜野古部)
- 亀林都督府(同羅部)
- 盧山都督府(思結部)
州
- 皋蘭州(渾部)
- 高闕州(斛薛部)
- 鶏田州(阿跌部)
- 楡渓州(契苾部/契苾羽部)
- 鶏鹿州(跌結部/奚結部)
- 蹛林州(阿布思部/思結別部)
- 寘顔州(白霫部)
その他府州
おもな燕然都護
都護
- 李素立(647年 - ?)
副都護
- 元礼臣
脚注
参考資料
関連項目
燕然都護府と同じ種類の言葉
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