流れ橋
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流れ橋(ながればし)は橋の形式の一つで、河川の増水時に橋桁(はしげた)が橋脚から分離して流出する構造を持つ橋である。流れに逆らわず自動的に橋桁が外れて流されることで、橋梁が流木や土石等の流下物を堰き止めることで生じる川の氾濫を起こしにくくすることができる。日本のほかアイルランド、オーストラリアなどに見られる[要出典]。
注釈
- ^ 橋桁・橋板の流出と河川水位の関係、また流れ橋の基本的な機構については、京都府山城北土木事務所の平松道亘が2021年に第11回木材利用シンポジウム「土木でもウッド・チェンジ!」[5]でおこなった講演「上津屋橋(流れ橋) 〈時代にあった木橋をめざして〉」のpdf資料[6]が図・写真を用いて簡明な説明を与えている。pdfファイルの5–7ページ目の「流れ橋のしくみ」「流出時の様子」項を参照[7]。
- ^ 学術論文ではたとえば九州の山国川を扱った神島一也らの「山国川流域の潜水橋整備史」、関東の久慈川・荒川、四国の四万十川を扱った見城英治らの「河川利用における潜水橋の評価」が、流れ橋を広義の潜水橋(沈下橋)に含めて検討している[8][9]。河川増水時に橋全体が水面下に没して通行できなくなるタイプの橋は、地域によって沈下橋、潜水橋、もぐり橋、潜没橋、冠水橋などの呼称で知られており[10][11]、河川行政では「潜水橋」の名称が用いられる[12]。英語ではlow-water crossing、Irish bridge、low level crossing、low water bridge、causewayなどの呼称がある[要出典]。
- ^ 四万十川に沈下橋が架けられ始めるのは昭和30年代であり[31]、それ以前には流れ橋構造を備える「一本橋」が用いられていた。奈良文化財研究所の報告書『四万十川流域 文化的景観研究』(2011年)に詳しい紹介があり、かつては丸太を半分に切った木材が橋板に用いられたこと、橋板を岸辺に繋ぐのにシュロ縄が用いられていたこと、住民による保守管理の方法が地域ごとにさまざまであったこと等々を現地調査に基づいて[32]記述している[3]。
出典
- ^ “木の橋 (5) 〜流れ橋〜|第5回 橋 〜 川を跨ぐ”. きまぐれ旅写真館(フカダソフト). 2023年6月11日閲覧。 ※「木の橋 (5a) 〜流れ橋2〜」もある。
- ^ a b “流れ橋。”. 水辺の土木遺産 (2012年2月5日). 2023年6月11日閲覧。
- ^ a b 奈良文化財研究所 編『四万十川流域 文化的景観研究 (奈良文化財研究所学報第89冊)』国立文化財機構奈良文化財研究所、2011年3月、49-51頁。ISBN 9784905338017 。 (惠谷浩子 2011)
- ^ a b c 『上津屋橋(流れ橋)資料集』 (2016), p. 12, 「流れ橋の発想」.
- ^ “第11回木材利用シンポジウム「土木でもウッド・チェンジ!」〜開催のご案内〜〔2021年3月8日開催予定〕”. 土木学会木材工学委員会 (2020年12月15日). 2023年6月18日閲覧。 ※このシンポジウムは当初2020年5月12日開催予定だったが新型コロナ流行のため翌年3月に延期、オンラインで開催された。
- ^ 平松道亘 2021.
- ^ 平松道亘 2021, pp. 5–7, 「流れ橋のしくみ」「流出時の様子」.
- ^ 神島一也, 岩田圭佑, 田中尚人「山国川流域の潜水橋整備史」(pdf)『土木史研究講演集』第32巻、土木学会、2012年、133頁。 ※pdf配布元は土木学会学術論文等公開ウェブサイト「土木史研究講演集 第32回 2012年」ページ。なお、p. 132–133掲載の地図、写真は熊本大学地域風土計画研究室(田中尚人研究室)のブログでカラー版が公開されている。
- ^ 見城, 加藤, 井上 2000, p. 356.
- ^ 見城英治 2001, p. 25; 見城, 加藤, 井上 2000, p. 356.
- ^ “四万十川の沈下橋”. 四万十川財団ウェブサイト. 公益財団法人四万十川財団. 2023年6月18日閲覧。 “平成11年〔1999年〕に高知県が全国の一級河川及び支流を対象とした沈下橋保存に関する調査(回収率100%)を行ないました。その結果、全国に410の沈下橋が現存し、高知県以外では、三重・徳島・大分・宮崎県に多くあることが分かりました。また、その呼び名は、「潜水橋 (せんすいきょう)」が最も多く、「もぐり橋」が続き、「潜没橋 (せんぼつきょう)」や「潜流橋 (せんりゅうきょう)」、「沈み橋」という県もありました。”
- ^ a b 河川管理技術研究会 編『解説・工作物設置許可基準』(pdf)(改訂)(財)国土技術研究センター (発売 山海堂)、1998年11月、71-73頁 。 ※「第11章 潜水橋」参照。pdf配布元は一般財団法人国土技術研究センターウェブサイト「技術資料|技術資料・ソフトウェア」ページ。
- ^ a b c 大野春雄 監修 1998.
- ^ a b 見城, 加藤, 井上 2000, pp. 356–357: 見城らは「上部工・下部工」の呼称を用いている。
- ^ 稲垣晃樹, 西脇祥子, 岡島賢治「
雲出川 流域における潜水橋維持管理の現状」(pdf)『農業農村工学会大会講演会講演要旨集』(平成28年)、公益社団法人農業農村工学会、2016年、1頁“分類は,床版が洪水時に流失する「流れ橋」と流失しない「潜水橋」の2タイプに分類した。” ※pdf配布元は農業農村工学会の「農業農村工学会講演要旨検索システム」。 - ^ 伊津野和行, ほか (2017年). “洪水や土石流に対する橋梁の安全性確保に関する研究 : JSPS科学研究費基盤研究(B)17H03299”. 立命館大学理工学部環境都市工学科防災システム研究室. 2023年6月18日閲覧。 “洪水では水だけが流されてくるのではない. 土砂や流木, 場所によっては巨岩や氷など, 漂流物が流されてきて橋に衝突する. [...] 水害による落橋や流出は, 大半が中小河川に架かる小規模橋梁でよく発生している. 小規模橋梁は地域住民が使う日常的な道になっているものが多く, 通れなくなると日常生活にすぐに多大な影響を及ぼす.”
- ^ 国土技術研究センター河川政策グループ『河川を横過する橋梁に関する計画の手引き(案) : 平成20年度実施』一般財団法人国土技術研究センター、2009年7月 。 ※p. 29「第2章 2.2 橋台・橋脚の必要性の有無」など参照。
- ^ 坂野 章(河川研究室)『国総研資料 第78号 : 橋梁への流木集積と水位せきあげに関する水理的考察』国土交通省国土技術政策総合研究所、2003年3月、6頁。ISSN 1346-7328 。"被災事例のほとんどは、橋桁まで河川水位が上昇した溢水〔氾濫〕を伴うものである。水位が橋桁まで達すると、水面を流れてきた流木が橋桁及び欄干に集積し河積〔河道断面積〕を阻害し、水位がせきあがり溢水量が多くなる。最小径間長が20 m以上でも河川水位が橋桁まで達し橋台周辺や橋台が倒壊しており、[...]"。 ※第2章など参照。
- ^ “松日橋”. 木橋資料館. 福岡大学工学部社会デザイン学科. 2023年6月18日閲覧。
- ^ 『上津屋橋(流れ橋)資料集』 (2016), p. 1.
- ^ 平松道亘 2021, p. 11, 「構造比較(まとめ)」 ※以前の支間長は平均4.9 m(4–7 m)であったが、四年連続の橋桁流出を受けた2014年の構造見直しによりほぼ2倍の平均9.1 m(8.7–10.1 m)に変更された。.
- ^ 『上津屋橋(流れ橋)資料集』 (2016), p. 12, 「流れ橋の起源と特長」.
- ^ “小目沼橋 - 歴史”. つくばみらい市観光協会. 2023年6月11日閲覧。
- ^ “小目沼橋”. いばらきフィルムコミッション. 2023年6月11日閲覧。
- ^ “小目沼橋”. 木橋資料館. 福岡大学工学部社会デザイン学科. 2023年6月11日閲覧。 “小貝川にかかる沈下橋です。流れ橋の機構はないようです。”
- ^ 四万十川自然再生協議会 (2019年2月). “四万十の水辺 八十八カ所めぐり” (pdf). 国土交通省四国地方整備局ウェブサイト. 2023年6月18日閲覧。 “No. 60 早瀬の一本橋” ※pdf配布元は四万十川自然再生協議会ウェブサイト「四万十の水辺八十八ヶ所めぐり」ページ。
- ^ a b 重山陽一郎(高知工科大学教授) (2010年1月20日). “芳生野 早瀬の一本橋” (pdf). 景観デザインを目指せ. 2023年6月18日閲覧。
- ^ “沈下橋の原型と言われる、早瀬の一本橋(津野町)が台風15号の大水で流されています。|ブログ”. 四万十川財団ウェブサイト. 公益財団法人四万十川財団 (2011年9月22日). 2023年6月18日閲覧。
- ^ 「四万十源流、流れ橋守る里 早瀬の一本橋(高知県) - 橋に願いを」『asahi.com』朝日新聞社、2009年12月22日。2023年6月18日閲覧。
- ^ “早瀬の一本橋 hayase log bridge”. 四国都市環境デザインマップ. 高知工科大学システム工学群建築・都市デザイン専攻景観デザイン研究室. 2023年6月18日閲覧。
- ^ “四万十川流域年表”. 四万十川財団ウェブサイト. 公益財団法人四万十川財団 (2015年). 2023年6月18日閲覧。
- ^ 奈良文化財研究所: “四万十川流域の文化的景観|景観研究室|組織・体制”. 奈良文化財研究所ホームページ. 国立文化財機構奈良文化財研究所. 2023年6月18日閲覧。
- ^ a b c d “「橋」の風景 : 人々の共同作業で築く“絆”の架け橋「名畑の流れ橋」” (pdf). 兵庫県民共済ウェブサイト (2017年6月). 2023年6月18日閲覧。
- ^ a b Shinji TAKAGI (2017年12月7日). “揖保川の流れ橋 揖保川(3)”. takaginotamago.com(タカギノタマゴ). 2023年6月18日閲覧。 ※参考文献に辰巳和弘「揖保川の流れ橋(名畑橋)」(『日本民俗文化大系 第13巻 技術と民俗 (上)』小学館、1985年5月)を挙げる。
- ^ 八木 智「【宍粟市】住民総意で流れ橋復旧|わが町リポート西播」『神戸新聞NEXT』神戸新聞社、2019年5月17日。2023年6月18日閲覧。
- ^ a b 岡田 昇「住民手作りの橋、都が撤去求める「許可ない違法工作物」」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2014年4月5日。2023年6月18日閲覧。オリジナルの2014年4月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 戸田大基『コモンズとしての「流れ橋」』(修士(社会人類学)論文)首都大学東京、2017年3月 。
- ^ とりさん (2016年9月28日). “【台風で崩壊】北浅川の流れ橋”. マッキータウンぶろぐ 〜東京近郊自転車コースガイド〜. 2023年6月18日閲覧。
- ^ a b めざまし8 (2021年11月23日). “全国に存在…管理者不明の「勝手橋」住民たちが作ったワケとは?”. FNNプライムオンライン. フジテレビ. 2023年6月18日閲覧。
- ^ “八王子流れ橋について”. 八王子流れ橋(北浅川流れ橋) (2022年7月). 2023年6月18日閲覧。
- ^ a b “観月橋”. シニアの遊び図鑑 (2010年8月28日). 2023年6月11日閲覧。 “観月橋の今後に〔の〕復旧について矢掛町に問い合わせてみました。”
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