最上郡
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最上郡(もがみぐん)は、山形県(出羽国・羽前国)の郡。8世紀の初めには裳上郡とも書き、陸奥国に属した。
- ^ 平城宮の出土木簡に「奥国裳上郡」と記すものがある。『多賀城市史』第1巻212-213頁。新日本古典文学大系本『続日本紀』1の421頁注65。
- ^ 『続日本紀』巻第5、和銅5年10月丁酉朔(1日)条。新日本古典文学大系本の『続日本紀』1の188-189頁。
- ^ 『続日本紀』巻第7、霊亀2年9月乙未(23日)条。新日本古典文学大系本の『続日本紀』2の18-19頁。
- ^ 『続日本紀』巻第12、天平9年4月戊午(14日)条。新日本古典文学大系本の『続日本紀』2の316-317頁。
- ^ 『日本三代実録』巻49、仁和2年11月11日丙戌条。新訂増補国史大系本の後編620頁。
- ^ 新庄城下各町の総称。「旧高旧領取調帳」には記載なし。本項では便宜的に1町に数える。
最上郡
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鮭延城 戦国時代、元々秋田雄勝地方の小野寺氏が領有していた城。小野寺氏を頼ってきた近江源氏佐々木氏の家系とされる鮭延氏が最上氏との争いの最前線となるこの城に居城した。鮭延氏は後に最上氏に臣従し最上氏の重臣として活躍することになった。しかし、後の最上氏改易とともに城を明け渡し、常陸国から入封した戸沢政盛が新庄城を築城するまで居城した。 清水城 戦国時代、庄内地方の武藤氏、秋田雄勝地方の小野寺氏などと最上郡の領有を争う最上氏の、最上郡における本拠地であった。しかし、最後の城主、最上(清水)義親は父最上義光の死後、最上氏を継いだ最上家親との対立の結果滅ぼされ、後に廃城となった。
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