時枝鎮継とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 時枝鎮継の意味・解説 

時枝鎮継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/02 06:52 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
 
時枝鎮継
時代 戦国時代 - 江戸時代
生誕 不明
死没 不明
別名 平大夫(通称)、孫太夫、大和
主君 大友義鎮黒田孝高長政
筑前福岡藩
氏族 時枝氏
父母 父:時枝重紀(平太夫、時枝隆令の子)

時枝 鎮継(ときえだ しげつぐ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将豊前国時枝城主。

生涯

時枝氏は中原氏の庶流で宇佐神宮弥勒寺の寺務を代々務めた家である。平太夫は反大友氏の急先鋒であり[1]毛利氏秋月氏らと呼応してたびたび反乱を起こしていた。天正14年(1586年)からの豊臣秀吉による九州平定の際には真っ先に従属の姿勢を示し、その案内役を務めると共に、時枝城を黒田孝高に提供した。

戦後、黒田氏が豊前中津に入封した後はその家臣となった。関ヶ原の戦いに呼応して仇敵・田原親賢ら大友旧臣団が起こした石垣原の戦いにおいては黒田氏の主力武将の一人となり、これを打ち破った。関ヶ原の戦いの功績によって黒田氏が筑前国一国に加増転封された際にはそれに従った。

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 大友家から豊前国を任された田原親賢(宇佐神宮の末社である奈多八幡宮の出身)の宇佐神宮に対する圧力(後に焼き討ちにまで発展する)に不信感をもったため。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

','','','','','','','','','','','','','','','','','',''];function getDictCodeItems(a){return dictCodeList[a]};

すべての辞書の索引

「時枝鎮継」の関連用語



3
6% |||||




時枝鎮継のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable(){return sideRankTable};

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



時枝鎮継のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの時枝鎮継 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS