時事新報時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/29 22:44 UTC 版)
在学中に愛国主義、国権主義の薫陶を受けた陸良は、1902年(明治35年)義和団の乱においてロシア帝国軍が満洲に駐留したことに危機感を覚え、古河鉱業を退職して時事新報社に入社し、3月末北京特派員として清に渡り、政府の対外拡張政策を支持して対露主戦論の論陣を張った。 1903年(明治36年)にはロシアと清の間で対日戦を想定して締結された露清密約の存在をスクープしたが、その際ロシア公使が「日本が我露国に対して戦を開く如き、鎧袖一触、立ち所に之を粉砕せんのみ」と発言したと報じて日本の世論を煽り、時事新報の部数拡大に貢献した。 日露戦争が開戦すると、青木宣純大佐の特別任務班に参加し、自ら工作活動に加わった。 1909年(明治42年)11月渡欧し、1910年(明治43年)イギリスでジョージ5世の戴冠式に参列した。
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